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もしも明日も生きていたら?

ありがたい事にすこぶる健康なのだけれど、
明日なんて本当にあるかわからない。

理屈ではわかっていたことが、
やっと心に届いた。

「死ぬのが怖いから、仕方なく生きている」
つもりだったけれど、
「生きようとするから、死が怖かった」

こっちが、正解。たぶん。

生死は選べるものじゃない。
命は与えられるもの。
今、生きているなら、それが答え。
命がある限りは、今を生きる一択。

そんな認識に、存在しないかもしれない
明日への実感を加味して未来を想ったら、
呆気なく足場が消えてしまった。

命には今しかない、と言い放ってきたのに、
明日へ続く架け橋が着々と建設されていた。

未来を選んだ自覚もないにも関わらず、
それを、おかしいとも思わなかった。

未来は、あって当然のもの。
無意識にそれが設定されていたから、
未発注でも工事は進んでいた。

だから、死ななかったんだろうな。これまで。

けれど、
橋の向こうは、現状維持の未来。
私が望んでいる未来とは限らない。

そして、今なら、
別の未来も選べるというサインかも?

隠しルート、発見致しました。

未来を創造するって、こういうことなのかな?

自分で選んでいるつもりでも、
現状維持の未来はデフォルトなので、
別の未来へ橋を架け替えようとすると、
同時に二つの橋を作ることになる。
倍の努力が必要になる。

だから、根負けして、
デフォルトに戻ってしまう。

なので、一旦、ぶっ壊す。

現状維持のルートは、単なる幻なのだと、
無意識が認識しない限り、工事は止まらない。

別の未来へ行きたいのなら、
デフォルトの自動生成をやめさせる。
それが、初手。

ということで、
明日を生きられるかわからなくなった私です。

これまでは、
無意識に「生きる」を選択していた。

しかも、ただ生きるだけでなく、
「楽に生きたい」という欲を満たす選択。
だから、不満だらけでも、人生は安泰だった。

今日からは、「生き残れそうな未来」を
意識的に選択することになる。

デフォルトのオートモードが解除されたなら、
死に向かう選択肢も選べてしまう。

なかなかスリリングな人生になってきやがった。 

どんな明日を生きたいか?
ではなく、
もしも、明日も生きていたら?

 明日も生きられるとしたら、
今日の私は、どんな未来を選ぶだろう?

選択によっては、人生最期の日かもしれない。

その時、命になにを求めるだろう?

明日だけなら、お金も物もあるだけで十分。
なにも必要とせず、なにをする必要もない。

ただ、この身一つで死と直面する。
多分、唐突に。青天の霹靂。

命の危機に、頼りになるもの。

頼れる自分。

お金が欲しかったのは、
生活や老後の不安を埋めるため。

もちろん、お金はあったほうがいい。
個室を選べたり、最先端の治療も受けられる。
死の不安を和らげることのできる人を
雇うことだってできるかもしれない。

けれど、頼れる自分はプライスレス。

死ぬまでは、与えられた命を使い切る。
死でさえ挫くことのできない覚悟。
挫かれたとしても、蘇るという確信。

養ってきた命を、全うする。
いつだって、そこに戻れる自分。

命を粗末にしない自分。

そっか。
今の私は、命を粗末にしているのか。
命を敬うとか言いながら、
自分の命は粗末にしてきたんだ。

なら、敬えるはずがない。
相手の命も粗末に扱ってしまうよ。そりゃ。

命を惜しまず、粗末にしない。

命を大切に使い切ったと思えることが、
最期の最期で頼れる自分になるのかな?

「命を惜しまず、粗末にしない」
「楽に生きる」

この二つを未来を選ぶ条件にしてみよう。

 fumori 


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