無責任の代償が自己肯定感なら、都合のいい人生の対価は、自由。

不快感は、自尊心が怯えているサイン。
世界と自分との埋まらないギャップ。

そのギャップは、乗り越えるものではない。
単純な領土問題。
互いの境界線の合間にある紛争地帯。
奪おうとすれば、抵抗され、
攻め込まれたら、応戦する。

不快に感じるのなら、戦況は不利なのだろう。
完全に勝てる戦にビビりはしない。
できることなら、悩まない。

自尊心が傷つくかもしれない。
なら、逃げるが勝ち。

そうやって、逃げられるだけ逃げ回っていたら、
お城以外の領土は、なくなっていた。

これが、自己肯定感の底辺。
お城にまで攻め込まれたら、
自己否定の領域に突入する。
天守閣は、存在否定。
命の危機。
切腹するかどうかの瀬戸際。

大袈裟な話ではなく、
精神世界はリアルに反応される。

自尊心にまで攻め込まれたら、
あとは削られ、奪われ続けるだけ。

だから、不快なんだろうな。
現実が、誰かが、自分が。

不安。恐怖。怒り。悲しみ。
心をざわつかせる不快な感情たち。

ネガティブな感情は、
自尊心が怯えている状態。
もう無理。もう限界。もうやめて。

これ以上、現状を否定されたら、
今そのものである命が削られる。

なんでもいいから、
早急に排除したいのです。

ですよね。わかってはいるんですよ。
ただ、現実って、理不尽でしょう?
あの人って、根は悪くないけど、
ああいうところあるでしょう?
正直なところ、残念な自分って、
認めたくないでしょう?

どれも受け入れるの、苦痛でしょう?
愛することなんてできるわけがないし、
赦す必要も感じていないでしょう?
それが、本音でしょう?

そんなときは、コレ。
テレレレレッテレー。
なかったことにすれば、
より早く確実に処理できますよ、お客さん。

そんな悪魔の囁きに乗って、
現状から逃げまくった挙句、
自己肯定感は底を尽き、逃げ場がなくなった。
それが、今の私の状態。

ただね、不快感はあくまで警告。

実際に不快感が命を削ることはないし、
自尊感情を傷つけるのは、
現実でも、誰かでもない。

現状を否定するのは、私自身。
私が、自尊心を傷つけ、
自己肯定感を下げている。

不快感は、世界とのギャップ。
なので、現実や他人のせいにしやすい。

社会から認められない。
誰も愛してくれない。
赦されてはいけない。

はい。それ、私です。

私が認められないから、
他人に認めて欲しくなっただけ。
愛されない自分も、赦されない自分も
「私に」愛されないし、赦されないから
辛いと叫んでいるのです。

私にしかできないことなのに。
認めることも、愛することも、
赦すことも、できるのは私だけなのに。

自分を受け入れられないのは、なぜ?

愛される価値がない?
傲慢なくらい愛されて当然と思っているのに…

赦されてはいけないほどの罪って、なに?

誰かを支配しているわけでもないのに、
なんの影響力を与えられるの?

支配への恐怖。
支配されることへの嫌悪感。
愛されることも、愛することも、
私にとっては、精神への侵食。

だから、自由を求めていたのかも。
完全なる精神の自由。
その代償である孤独と引き換えに。

そうやって得た自由が、あまりにも淋しくて、
誰かに認められたくなって、侵略を許したのなら、
なんで自由になりたかったんだろう?

支配は嫌だけど、庇護は受けたい。
責任は取りたくないけれど、
好きに生きたい。そんな感じ?

私は、都合のいい人生をループしている。

楽に得に、苦労せず生きたい。
なので、
苦労したり、損する選択は逃げ続け、
何もなさないまま、自己肯定感が底をついた。

自己肯定感の低さは、都合のいい人生の代償。

自己肯定感は、底をついた。
けれど、私には、自由がある。
圧倒的な精神の自由。

無責任の代償が自己肯定感なら、
都合のいい人生の対価は、自由。

守りたかったものは、守られた。
何者にも支配されないこともわかった。
コントロールできるのは、自分だけ。

私が現状を否定しない限り、
自己肯定感が減ることはない。

なら、あとは増える一方。
私の自己肯定感は、今が底値。

認めなくても、
愛されなくても、
赦されなくても、
現実を生きる上では、何の影響もなかった。

命が求めているのは、今。
文化的な生活。解放された精神。

食うに困らない生活と
精神の自由があれば、
今に文句はないのです。

本当はいつだって、
生きている間ならずっと、
ちゃんと満たされているのです。

一番必要なものは、
死ぬまで奪われたりしないのです。
奪われたら、死んでしまうから。
奪われていないから、
生きていられるんです。

生きている限り、残機はあるんです。

認められない自分も、
愛せない自分も、
赦されない自分も、
認めない私も、
愛さない私も、
赦さない私も、
心にあるがままにしておく。

肯定したくなければ、しなくていい。
その気もないのに、受け入れなくていい。
意図が乗ってしまうなら、それもそのまま。

今のまま。ありのまま。

残機が尽きるまで、
現状を否定しないでいれば、
肯定感は高まってゆく。たぶん。

 fumori 


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