生まれ持った資産をどう運用するか。
心は外見に現れる。
そんなわけあるかい。
と、思っていたけれど、その通りだった。
老いてゆく自分をなんとか盛り上げようと、
新しい化粧水やオイルを試したり、
髪型を変えてたり、
カラーリングしたり、
ネイルをしてみたり…
どれも、気分を上げてはくれる。
ほんの一瞬。あるいは、もう少し。
けれど、思想まで変えてはくれない。
気分止まり。上がれば、下がる。
血糖値のように確実に。
今のところ、糖尿病ではないし、
むしろ健康なのだけれど、
それ故に、あまり大切にしてこなかったと思う。
あって当たり前。
丈夫な体も、視力も、記憶力も。
たぶん、ショックだったのだ。
だから、上部を取り繕ってみたのだが、
そんなものではどうにもならないほど、
ガタがきていたということ。
確実に衰えてしまった。
気分ではどうにもならないほどに。
努力しても変わらないのは、
中身が衰えてしまったから。
体も、気持ちも、老いてしまった。
気分を上げても戻ってしまうのは、
外見そのものが問題ではないから。
不快なのは、外見より、心だ。
衰えるのは、仕方がない。
けれど、心の老いは、醜い。
諦めきれないのに、
諦めたふりをしたり、
やる気がないことを、
どうしようもないと言ってみたり、
自分の本音を偽ってばかりいる。
本当は、
まだなんとか…
年の割には…
とか思ってるくせに。
なぜ、諦めることを
カッコいいとか思ってるんだろう?
自分を上げようとすると、
すかさず批判コメントがやって来るのだろう?
感情的になることを、私は恐れている。
調子に乗りやすいから、戒める。
言っても伝わらないことばかりだし、
頑張ったからと言って手に入るとは限らない。
口を開けば、嫌われる。
バカだと侮られる。
なら、私は、
喋るたびに相手を嫌いになっているのか?
賢いか、バカかを、
ジャッジしているのだろうか?
なぜ、嫌われたくないのか?
なぜ、嫌いになってはいけないのか?
なぜ、かしこいことを良しとしているのか?
なぜ、バカではいけないのか?
なぜ、私自身であることを、
偽らなければならないのか?
なぜ、書こうと思っていた内容と、
全く違う話になってしまうのか?
私は、相変わらず謎だ。
ただ、一つ言えることは、
老いを受け入れたいのなら、
外見より中身を大切にすること。
そして、思想そのものを変えること。
そこに気づくためには、
外見を取り繕ってみる必要があった
ということかな?
体と心は、私が生まれた時から
与えられている資産だ。
どうしたら、うまく運用できるのだろう。
fumori
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