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もはや日常が狂気になってしまった。

毎日、死にたいと思う。
死にたくもないのに。狂ってる?

もはや、日常が狂気になってしまった。

心が重い。なんの重みだろう?
何を抱えているの?

まあ、自分なのだろう。
私に対する執着。

とにかく、少しでも得をしたい。
損をしたくない。
有利に、楽に、スムーズに生きたい。

執着しているのは、期待。
自分。未来。出来る私。
こんなはずじゃなかった。
あの時、こうしていたら…

いつだって、今を否定している。
今が嫌いで、今の自分が嫌い。
なので、いつだって気分はネガティブ。

もう生きていたくない。
死ぬのは怖いけど、
未来になにも期待できない。

夢見ることさえ、
許せなくなってしまった。

自分と、今と向き合えば、
いつだって嫌な気分になるのは、なぜ?

なぜ、今も、自分も、否定し続けるの?

暇だから?
刺激が欲しいから?
嫌な気分を味わって当然の人間だから?
なんの罪悪感?
なぜ、自分を罰するの?

社会的な良識ではなく、
私の良心は、なにを許せないのだろう?

なぜ、私を罰するのだろう?

所詮は、現実。
所詮は、人間。

 良心だけで生きて行くのは、難しいよ。
清廉潔白でなくても、大丈夫。
利己的な自分に負けてしまっても、
自分を責め続けなくていい。

嫌な気分になったら、今後はしない。
そう決めれば、いいだけのこと。

間違ってみなければ、それが私の良心に反しているかなんて、わからないんだから。

良識と違って、良心は個人的なものだから。
私しか、わからないことだから。

良識に従って、全ての現実を受け入れようとしなくていい。自我をコントロールしなくていい。

私がすることは、選ぶこと。

現実は、私の都合とは関係なくやって来る。

ジャッジを止めようとして、全てを受け入れようとした。そして、潰れました。

現実は、流星みたいに流れて行くもの。
私に向かってやって来るのではなく、
宇宙が動いている感覚。
ファルコン号がワープするみたいに、
現実は絶えず降り注ぎ、通り過ぎて行く。

たまたま、目を奪われて、解釈したものが、私の現実。

選ばなかったものは、解釈できないから、なかったも同然。

たぶん、現実は、そんな風にできている。

死にたいのは、死にたくなるようなネガティヴな気持ちになる現実を選んでいるから。無意識に。

ネガティブになりたくなければ、
受け入れるのではなく、選ぶこと。

主体的に選ぶことができれば、
結果はもれなくついてくる。

期待通りではない未来もあるけれど、
選んだのなら、次は成功するかもしれない。

やらされてる感で気が滅入るのは、
選んでいないから。

リスクの少ない方を選ぼうとするから。
選んだのに、うまくいかないから。

心が、弾まない。沸き立たない。
頭で選んでいるから。

必要なのは、現実を選ぶことなのかもしれない。
受け入れるより、選ぶ。

そのために、必要なのが偏った自我。

自分を守ろうとするのではなく、
選ぶために偏りが必要で、
偏るから、和が必要になる。

偏り、個性と、和やかさ、協調性は、
真逆だけれど、
同じくらい必要なものはなんだ。

和やかさを生み出すことができれば、
自我を殺す必要もない。

私が取り繕うのは、性根が腐っているから。
それを、隠そうとするから。

表沙汰にする。
よくない人間だと知ってもらう。
それが、許される範囲だとわかれば、
そこが居場所になる。

私が欲しいのは、居場所。
今、選ぶことが、第一歩。

勇気を出して、晒してみて。
萎縮せず、いつだって自分でいて。
がんばれ。

 fumori 

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