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私って、成功したい人だっけ?

幼い頃の私は、無敵だった。

地球は私のために回っていて、世界は何もかもが新しく、命がいくつあっても足りないくらいに、やりたいことで溢れていた。

自分も、みんなも、世界も、大好きだった…??

そこまでハッピー尽くしな世界ではなかった。
けれど、嫌いなものは嫌い、で成り立っていた。
わかりやすくて、心に澱みがない世界。

それがいつしか、みんな仲良くになり、
人を嫌うことは悪いことになり、
友達が多い人が正義に成り代わっていった。

気づいたら、無敵ではなくなっていた。

嫌われることを恐れ、
人を嫌いになる自分を裁き続け、
世界は敵だらけで、
自分さえ味方ではなかった。

寧ろ、天敵。
マトリックスのエージェントスミスみたいに、
顔を見れば、息の根を止めようとする。

そんな生き地獄を彷徨った挙句、
無敵な私が唐突に復活したのでした。

驚いた。
消滅しきったと思っていた。
復活したのは、偶然。

うっすら取り繕ってきた自分の化けの皮を剥いだら、もれなく付いてきた。
「すっぴん」と言いながら、下地で顔色補正してるし、眉だって描いてるじゃん状態でした。

最後の見栄というか、女心というかを、完全にオフしたら、無敵な私がやって来たんだけど…

なんか、記憶と違うんですよね。

ポジティブで、明るくて、活動的で、
笑ってるか、怒ってるか、泣いてるかで、
素直で、分かりやすくて、愛嬌があって、
なんてポジティブなイメージだったのだけれど、
こうして見てみると…

ただのおバカな子、では?

幼い頃の無敵な自分は、
ネガティブな感情とセットだった。
認めたくない感情を抱かせる自分。

うん。できることなら、
死ぬまで見て見ぬ振りしてたかったわ。
過去を美化したままで終わりたかった。

改めて、大人目線で見てみるとさ、
どこまでもアホな子なんだよね。
バカにしてるんじゃなく、
見てると笑っちゃうというかさ。

よく生きてこれたなって。

考えても、なにも思いつかない。
なので、とりあえず、やってみる。
当然、失敗する。
当然だから、めげない。
またやってみる。
けれど、すぐ飽きる。
諦めるのではなく、移り気。
やりたいことが、次々見つかる。
やってみたい。やる。失敗する…

ね、おバカさんじゃない?
これが私の本質なんて、
願い下げたくて仕方がない。

変えようとしても変わらない
アホな本質が、嫌いだった。

けれど、本質は変わらないし、
変えられないことにも気づいてしまった。

やりたいことが見つからないはずだよ。
探しても、間違えるタイプなんだから。
考えるだけ、無駄だった。

面白そうと思ったら、飛びついて、
失敗して、飽きてを繰り返すうちに、
運が良ければ、当たるかも?

その程度の確率だった。低いんだよね。
やりたいことに出会える確率が、異様に。

どうしても出会えたければ、
手当たり次第に、やってみるしかない。
しかも、ほぼ失敗するから前提なんて…

あれ?
私って、安定志向じゃなかったでしたっけ?
石橋叩いて割るような、小心者でしたよね?

決めたことはやり遂げるとか、嫌でも頑張るとか、そんな殊勝な心がけ、本質にはないよね?

私って、本当に成功したい人なんだっけ?


書き出してみると、
ただ、やってみたい人、じゃない?

体験したいというか、挑戦してみたいだけで、絶対にやり遂げるとか、そんな信念、微塵もないよね?

だから、失敗しても、めげない。
笑ってごまかせるとか思ってない?
謝れば、大抵のことはなんとかなる、とか?
愛されて当然、とか?

無責任で、適当で、甘えてる。
世の中を舐めている。
同時に、愛してもいる。

信頼しているから、赦されると信じられる。
世界を愛しているから、
安心して、甘えていられる。

大人になるために手放してきたのは、
砂糖菓子みたいな甘い世界ではなく、
命そのものの圧倒的なパワーだった。

無敵は主張が強い。
社会に馴染むには、目立たないほうがいい。

命として生きるということは、
社会にとっては迷惑なことかもしれない。

けれど、命として生きると決めたなら、
その覚悟が出来たということ。

たぶん、昔のままでは傷つけた人を、傷つけなくてもすむスキルを得られたってことじゃないのかな? 

そう期待してみよう。

自分を見くびらず、見誤らず、
好き嫌いは別にして、
おバカな本質で生きてみよう。

失敗しても当然な人なんだから、
なんでもできるよ?

飽きたら、やめていいんだよ?

成功したいわけではなく、
やりたいことをやってみたいだけでしょう?

なら、考えなくても問題ないって。
できることなら成功したい
なんて程度の望みは、捨てちゃいなよ。
やり遂げる前に飽きちゃうもん。

どうしても成功したい、
やり遂げたい何かに出会えたら、
ムキになって頑張るよ。私は。

興味がないことは、できないんだよ。
出来ないことをやろうとすると、不幸になるよ。経験してきたもんね。

飽き性であることを、恥じなくていい。

飽きっぽいから、たくさん挑戦できるんでしょ。やりたいことがないなんて、嘘。
やりたいことを、たくさん見つけられるタイプなんだよ、本当は。

やり遂げないとダメとか思ってるから、見えないだけ。

考えると動けなくなるし、考えた挙句に失敗すると、めげるし、どうせモノにならないって、拗ねる。

まぁ、ほぼ、モノにならないからね。
失敗前提のライフプランたから。たぶん。

出会いに行く。挑戦する。やってみる。

それが出来ないから、ネガティブで何もしないで人に成り果てる。

飽きっぽくても、失敗ばかりでも、私が気にしないなら、なんでもないことなんだよね。

周囲がどうあれ、私の価値を決めるのは、私だ。

商売や、人の評価は別モノ。
欲しいけどさ、いい方がいいけど、それを自分の価値だと勘違いすると危ない。

私の価値は、命だ。
今であり、愛。全てがある状態。
人の噂で測れるはずがない。

相手の命も、同じこと。
気が合わなくても、敬わずにはいられない存在ってこと。

それがわかったなら、命として本質を生きても、安易に人を傷つけることはない…はず。

人間関係下手くそだから、油断はしないけど。

私の本質は、随分と舐めた考え方をしている。

謝れば許してもらえる?
んな訳ないとも思う。

ただ、本気なら?

命を生きるということは、本来の気を使えるということなだと思うんだよね。

ルフィの覇気みたいなパワーはなくても、心を伝える力はあるんじゃないかな。

感情的にならないよう心を使わないように生きてきたから、今は枯れ果てているけれど、無敵の私を生きだしたら、どうだろうね?

気は生み出されて、巡って、本心が相手に響く。
サトラレみたいに、伝わるとしたら?

本気で謝る人を、許さないでいられるのかな?

もちろん、程度はある。
わかっててやるのは、アウト。
人を傷つけるとか、罰を受けるとか。

そうではなくて、配慮が至らなくて、迷惑をかけてしまった場合とか、どうなんだろうね?

私はこれまで、失敗を避けてきた。
謝れば表面的には許される程度の負荷しか担えなかった。

本気で謝ったら、伝えられるのかな。

動かせるだろうか?
心を。

相手に伝わるのは、言葉ではなく、心。
腹の中でなにを思っているかが伝わる。

結局、人間性ってことになるのかな。

命を生きるということは、本性が筒抜けになってしまうのかもしれない。

素直でも、見くびられない人でいられるかな?
肝が座ってるとは言えないけれど…

バカにされたり、利用されたくはないんだけど。
いや、視界に入れなきゃいいのか。
縁を結ばないようにしよう。

本気をバカにするような人
素直さを利用しようとする人とは、
縁を結びません。

人生は、選択。
全部を受け入れなくてもいい。
生きたい世界を選んでもいい。

あるがままって、そういうこと。

諦めて、全てを受容することは、もう飽きた。
なんかやりたい。
なんかしたい。
なんかわかんないけど、動きたい。

成功とかどうでもいいから、
なんかやらして。

それが、今、命が望んでいること?

うまいこと「成功したい」へ誘導できたら、
人生面白くなりそうな予感がするよ。

本気の私って、どんな人んだろうね?

これからの人生も、
まだ見ぬ本気の自分も、
ちょっと楽しみになってきた。

 fumori 





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