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日常会話の目的は、スペースの共有なのかい?

なぜ、私の会話は伝わらないのだろう?

ネガティブな感情に捉われて、すれ違う。

口にした言葉は、
理解して欲しい意味ではなくなってしまう。

誤解されることに、イライラし、
哀しみが降り積もって行く。

伝わらないこと。
誤解されること。

喋ることが苦手というより、
伝わらないから会話が苦手なのかもしれない。

言いたいことを伝わるように喋れない。
イライラするのは、
相手というより、そんな自分。

降り積もる哀しみに、
埋もれることしかできない無力な自分。

なんとかできないかな?
哀しみに沈み込んだまま、
命が尽きたら、救われない。

現実にも不適合だし、
解決できれば好都合。


どうしたら、言いたいことを
伝えられるのだろう?

伝わらないのは、
会話になっていないから。

なら、私は会話をしてこなかったのだろうか?

喋ることはできるけれど、
会話のできない人間、なのかもしれない。

びっくりした。
喋ることと会話が違うことだなんて、
疑ってもみなかった。

けれど、違う。目的が。

喋ることは、主張。
聞くことは、知ること。

知ってることを話す。
知らないことを尋ねる。
相手の知っていることを、知る。

私の言葉は、知るためのツールだった。

会話の本質が知ることではないのなら、
互いを知ることが大切とされているのは、
なぜだろう?

なんのために、互いを知るのか?

知ったら、どうなる?
誤解しなくなる?
信頼できるかわかるようになる?
怖くなくなる?

よく知らないことは、恐怖なのか。
相手を知る目的は、
恐れなくていいことを確かめるため。
自分のことを話すのは、
危害を与えるつもりはないと信じてもらうため?

そっか。そこからなのか。
というか、それなのか?

相手に恐怖を与えない会話。
相手の領域を侵さない。
大切に思っている考え方を尊重する。
距離を測る。

対話することによって、
互いにとって居心地のよい距離感を掴む。
和を生み出すこと、では?

ゴールは、
好奇心を満たすことでも、
感情を共有することでもなく、
和やかな空気とか気持ちでいられるか。

スペースの共有。
対話の目的って、それなんじゃなかろうか?

これが、いわゆる空気か?

ということは、日常会話において、
言ってる内容はあまり問題ではないのかも。

害にならないこと。
ポジティブな話題でなくてもいい。

表現しているのは、感情。思い。
話の内容ではなく、
ここに一緒にいたい、という気持ち。

なら、雑談の時は、
感情を言葉に乗せたらいいのかも。

一緒にいることができて、
嬉しいとか、楽しいとか、おもしろいとか。

返事とか、おもしろいことを言わなきゃとか考える前に、ポジティブな感情をのせる。

言いたいことより、害がないことを示す。

これなら、迎合せずに会話ができるのでは?

話の内容を真剣に考えてしまうと、本人が望んでいない返事をしてしまう。

けれど、求めている会話が、アドバイスではなく、スペースの共有であるなら、相手にとって耳障りな返事は避けられる。

優先順位を、知ることから、
スペースの共有に切り替える。

言葉ではなく、感情。

私が言葉を知ることに使っていたのは、
きっと、知って欲しかったから。

和を生み出すよりも、
私の哀しみを共有して欲しかった。
一人で抱えていられないほど、寂しかった?

このところ、よく寂しいと思う。
私の承認欲求も、
つきつめれば寂しさなのかもしれない。

寂しくないなら、
誤解されたって気にならないだろう。

私は、それを知っている。

私が誤解しなければ、
誰かに誤解されても、
寂しくないのかな?

なら、あの時、誤解された悔しさ、哀しみは、
なんだったんだろう?

 fumori 

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