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ハッピーエンディングな人生を営む。

世界は、対極の価値観でできている。
ネガティブな現実しか見えなくても、
ポジティブな要素が隠れている。必ず。

自動認識のトラップを見破り、
ポジティブを見出し、選択する。

それが、ポジティブシンキングだと思っていた
のだけれど、私の命は、選択するまでもなく
ポジティブで、健康で、豊かだった。

それが、命のデフォルト。
あくまでも、私の場合。

未だにネガティブな発言ばかりなのは、
五体満足で生まれ、食うに困らず、
相当に健康だったはずの人生を、
腐らせ、拗らせてしまったから。
傲慢で、怠惰だった。

…今もかな?
本当にどうしようもない。

そのどうしようもなさこそが、
人間らしさなのだけれど。
望まない自分に苦しんでいるのは、
私だけではないだろうし、
赦し合う以外にない業のようなもの。

なのに、そんな自分を赦せず、
嫌悪し続けた挙句、存在否定にまで行き着いた。
それが、始まり。

人間のくせに、
神さまみたいに完璧でありたかったなんて。
努力したところで、報われるわけがない高望み。

目指す高みが、間違ってるのだから、
そりゃ、人生はハードモードだろうよ。

私が選んで、修行し続けてきた。
自業自得とは言え…
本当に、どうしようもない。

骨身に沁みた。
自分が間違えたのだと認められたのは、
代償に見合う対価が手に入ったから。

人生の目的が見つかった。

好きなことをするために、自由になりたかった。
価値観を手放し、自由を獲得してみたら、
今度はやりたいことがなくなってしまった。

自分が幻想だと気づいたら欲が薄れ、
今度は、自由を持て余してしまったのでした。

本当にやりたいことってなんだろう?

自由を求めていた時はあったはずのそれを、
なんにも欲しがらない自分に尋ね続け、
漸く、見つけた。

やりたいことを探す前に、
好きなことをやる前に、
最優先でやること。

死への対策。

未来に絶対はない。

頑張ったところで、夢が叶うとは限らないし、
豊かな老後が過ごせる保証もない。 

過程が大事というのなら、
人生そのものが、真剣な遊びみたいなもの。

なら、どんな未来を選ぼうが、
不可欠なものなんてないのだ。

たった一つの確約された未来を除いて。

私は死ぬ。いつかの未来に、必ず。

なら、死に纏わる対策は、旨味のある話。
元本保証つきの未来への投資。
乗らない手はない。

生存欲求>死への対策>願望、欲望

死の対策に夢中になって、
餓死してしまったら本末転倒なので、
先ずは、命を養うための最低限の生活を確保。

目処がたったら、人生を楽しむより先に、
死への対策を立てる。

どれだけ準備したとしても、
死ぬのは怖いだろうし、
死にたくないと思うだろう。

死の間際に、頼ることができる自分。
それが、私の目標。

後悔しながら、人生を恨みながら
死んでゆくのは嫌だ。

死にたくないと思うのは、
長年連れ添ってきたこの身体を愛おしむ
離れがたい気持ちからであってほしい。

感謝と労わりと謝罪と、
全部の感情を解放して、
愛を体感してみたい。

死は安らぎである
という仮説を立証できたら、
ほくそ笑んで死ねそうだ。

うん。悪くない。

人生を楽しむ前に、
命を養う最低限を稼ぎ、
死への対策を万全にする。

ハッピーエンディングな人生を営もう。

fumori 

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