見出し画像

理想は、叶えるものというより、今の自分を知る目安かも。

人生に期待していた。
辛いのは、期待を裏切られるから。

かと言って、
未来に希望を抱けなければ、
生きている意味も目的もなくなってしまう。

理想とは違う現実が苦しくて、
あるがままの現実を受け入れようとすれば、
あるがままの自分が歪んでゆく。

自我は自分で作り出した幻なので、
歪めても問題ないような気がしていたけれど、
前提が書き換わっていない状態だと、
反発される。心が、思考が拒否をする。

自我は幻想かもしれないけれど、
消し切ることはできない気がする。

現実を優先しようとすると、
今の私では、思考停止してしまう。

ありのままの現実と、
ありのままの自分の辻褄が合わないから。
ありのままだと思っている自分が、
なりたい自分だから。

今の自分を否定して、
なりたい自分になりきって、
辻褄を合わせようとしている。

ありのままが歪んでゆくのは、そのせい。

今の至らない自分で生きる。
覚悟を決める。勇気を持つ。

さっきも迎合してしまったのけれど、
そういうのもうやりたくない。
気持ち悪い。

それが本音なら、それが現実。
精神の問題を、解釈で誤魔化そうとしない。

感じたことは、現実でいい。
感じたことが、現実なのだ。

きっと、その時々でわかるけれど、
その日の気分次第だから、筋は通らないけれど、
それでいいことにする。

私は、理性的な人間ではない。

認めたくなかったのは、
感情的な自分かな?

理性的で、知的な自分になりたかった。
期待して、現実を捻じ曲げるほど執着していた。

期待は、現実ではない。
現実は、いつだって痛い。
理想通りにはいかない。

ほとんどの今のある現実には、
理想に届かない自分しかいない。

あるがままの現実を、
あるがままの自分で生きるためには、
解釈で歪曲してはいけない。

ただ、理想ではない自分で生きる。

痛い自分、弱い自分、狡い自分。
罪悪感や目を背けたくなる自分。

そんな理想に程遠い自分をいないものにするから、あるがままの現実を受け入れようとすると、身動きが取れなくなる。

あるがままの現実は、あるがままの自分。

受け入れるのは、現実というより、
現実に反応する認めたくない自分。

理性のカケラもない
自分勝手な情念。

恐れているのは、それかな?

本性が露呈すること。

愚かさ。賢くないこと。
情動的で芯がないこと。
憐れみに優越感を感じること。
無意識に差別していること。
知らないものへの恐怖心。

大嫌いだ。至らない。器が小さい。

それが本音。それが、今の私の現実。

下手な理想を描かず、
ありのままの現実を
受け流してゆけばいいと思っていたら、
心が置き去りにされてしまった。

せっかく心の底にたどり着いたのに、
やり直しだ。

進んできた道を引き返し、
こぼれ落ちた心のカケラを拾い集める。

非効率的だけれど、戻る以外に道がない。

ずっと大切だと思ってきたものと、
心や命が大切にしているものは違うから。

それを知るために、
何度も繰り返すのだろう。
賽の河原のように。


理想は捨てなくていい。
あるがままの現実も
ありのままの自分も変えなくていい。

理想とは違う情動的な反応をする
今の自分を否定しない。

嫌いなものは、嫌いでいい。
わがままでも、利己的でもいい。 

それが本音なら、それが現実。
現実を誤魔化さない。

どんな自分も感情も、
認識であるかぎり妄想なのだけれど、
妄想を感じている自分は現実に存在する。

現実なので、解釈で誤魔化さないこと。

誤魔化したくなるのは、罰するから。
理想とは違う自分を、否定するから。

どんな自分も現実だし、
すぐさま否定できない過去になる。

反省するのは、良心に反した時だけ。
それ以外の現実は、全部アリ。

その程度の自分でしか、自由にはなれない。
一番選択肢のある状態は、至らない自分。

どれだけ、現実を認められるか。
どれだけ、自分の本心に気づいているか。

本音にざわつかなくなればなるほど、
現実の自由度は広がる。

心が自由なほど、
現実も大らかになる。

現実と心に対する態度は、たぶん同じ。
ただ、素直に、あるがままにさせておく。
それが、第一歩。

理想は、その次。
現状からの変化することが、
私たちの本質だから。

老いだって、死だって、
単なる変化なのかもしれない。

良くないもの、不幸なものとしているけれど、
答えは必ず二つある。

選ぼうと思えば、悪くないもの、
幸せなものだって見えてくる。


理想の自分になれば、
幸せになれると思っていた。

それが、
今の自分を否定することになった。

なので、自分に対する理想や期待をやめたのだが、今度は生きる気力がなくなってしまった。

理想や期待は必要らしい。
けれど、叶えるためのもの
ではないのかもしれない。

理想の自分とは、
今を否定するためではなく、
今の自分を知るためのもの。

比較対象なので、
向上しなくてもいいものなのではないかな?

理想があることで、今の立ち位置や、
目指す方向がわかる。

便利な指標であって、絶対に努力して叶えなければならないものではないのだろう。

叶えようと努力するのではなく、
ポジションのギャップを知り、
やるかどうかを選ぶ。

理想を叶えるかどうかは、選んだ後の話。

理想は目安。
自我の脚色をかわして、
ありのままを素直に感じる。
現実も、本音も。

本音が、現実。

 fumori 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?