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未来の価値観がなければ、未来は予測できない。

昨夜のこと。
iPadをリカバリーしようとして、失敗した。

苦手分野ではあるものの、説明を読む限り難しいものではなかったし、リカバリーくらいはできると思っていたのに…

ついに、この時が来た。
時代に取り残されてしまった。

このところ、モラルもテクノロジーも、アップデートしきれないと思っていた節はある。

正直、このスピードで時代が進むなら、対応限界は近いとは感じていたのだけれど…

さすがに、うんざりしてしまった。
この先の未来とやらに。

時代の感性について行けないというのは、かなりしんどい。当たり前が当たり前でなくなる。

マイノリティとして味わってきたその感覚だけで生きてゆかなければならないようなものだから。
違和感というか、場違いというか。

身体の老いだけでも十分苦しいのに、
心身ともにかよ。

これからどうやって生きていったらいいのか?

なんて悲劇に酔っていたら、これからは宇宙人との遭遇が当たり前になるなんてぶっ飛んだ話題に行き着いてしまった。

思い浮かんだイメージは、MIB。
自由で、勝手で、ナンセンス。
そんな世界になったら…

なんか面白そうじゃないか!

ちょっとワクワクしてしまった。

宇宙人が襲来するかはさておき、
ナンセンスな話題に心を動かされたことにより、
気づいたことがある。

私が抱える問題は、固定概念らしい。

この年齢になったらこうなるとか、
病気になりやすくなるとか、
太りやすくなるとか、
怪我が治りにくいとか、
こういうことが楽しみで、
こういうことが寂しくて…

現時点での価値観を、
未来の自分に当てはめていた。

けれど、私が生きる未来に、
今の価値観は通用しない。

古い価値観に縛られて、モラルやテクノロジー同様、価値観もアップデートできていなかった。

今の価値観にさえ乗り遅れているのに、
古い価値観の未来予測が、当たるはずないのに。

子供の頃の価値観と比べたら、
今の価値観の方が断然好きだ。
この価値観で生きてゆきたいと願ってきた。

なのに、未来を見ている価値観は、
昭和のままだった。

今の高齢者は、昔に比べて、若いし、元気だし、生き生きしているように見える。
医療も美容も、世界そのものが進歩する。
私たちが、今の世代より不健康に生きるとは考えにくい。

なのに、なぜ、老いることを当然と考えていたんだろう?

もちろん、老いは必然なのだけれど、今、考えている老い方とは、全然別物かもしれないのに?

ポックリ死ぬまで元気で生きる。
それが当たり前の未来だって、なくはないのに。

昭和から変化してきた老後のあり方。
経験による、予測。
それが、未来を悲観することになっているのだとしたら、いらなくない?

今の価値観で、未来を予測することはできない。

なので、多分、今の私が思い描いているうんざりするような老後は、やって来ない。
時代にそぐわないから。

今ほど、のんびりもしていないだろう。ある意味、今よりハードかもしれないけれど、退屈している暇はなさそう。

時代についていけなくても、波に浮かんでいれば、勝手に巻き込まれてしまうもの。
波に乗れなくても、海と遊ぶ楽しさは味わえる。

これまでの固定概念で
未来を予測することはできない。

未来が退屈だと思うなら、
固定概念に縛られている証。

安定を望んで、
古い価値観を手放せずにいる。

今の価値観にアップデートしたとしても、
未来を想像することぐらいしかできないんじゃないかな。

未来の価値観を手に入れない限り、
予測は当たらない。

…なら、未来の価値観を選んでしまえば、
未来の現実もやってくるのかな?

そういうことなんだろうな。
決めてしまうというか、選んでしまう。
他の可能性を捨てるということ。

可能性を捨てるのが惜しいから、選べない。
だから、現実化しない、かな?

固定概念があるから、迷うのかも。
自分ではない価値観に揺さぶられるから、ブレてしまう。

なるほど。標的は、固定概念。

なんと、家族が宇宙人でした。
実は、私も…
くらい大らかな気持ちで、現実を眺めてみよう。

固定概念に縛られた未来ではなく、
予測不可能な未来を垣間見るために。

価値観をアップデートしようと必死になったところで、すでについて行けないのだから、無駄。
価値観そのものを手放して、ぷかぷか浮いてみる。
ジャッジも、経験則も、好き嫌いもない世界観で、現実に立ってみる。

来た波に乗ってみるのもよし、やりすごすもよし。自分から追いかけなくても、波は絶えずやって来る。

現実を生きながら、自分の世界と共存する。

もしも、そんな生き方が出来たなら、
思いもよらない未来になるのかもしれない。

固定概念の向こうに、
体験したい未来がある。

そう思うだけで、
ほんの少し老いた未来に光が差す。

大切なのは、きっと、それ。
ないかもしれないけれど、
あったらいいな、と思えること。
希望とか、期待とか、思いつき。

未来の価値観がない人に、未来は予測できない。

なので、悲惨な未来を予測するのも、呑気に面白おかしい未来を夢想するのも、無駄なこと。

同じ無駄なら、楽しい方がいいじゃない?

気分が良くなる方を選ぶ。
それが、ルールだもの。

iPadをアップデートできなくても、
全然問題ない未来が存在しますように。

 fumori 



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