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心はいつだって満たされている。

ネガティブな気分は、
私が間違っているサイン。

価値観や捉え方のどこかが偏っている。
思い至ったら、斜め上を見上げる。

この世界は、対をなす。

沈んだ気持ちをもたらしている
ポジティブな価値観があるはず。

ポジティブと言えば聞こえはいいけれど、
現実離れした理想や期待かもしれない。

それを叶えられなくて、
落ち込んでいるのかもしれない。


心はいつだって満たされている。

それが、望んでいる感情ではないから、
空っぽに感じてしまうだけ。

私の心は、寂しさで満たされている。

今あるものは、あるがままに、
感じるままにしておくのが最善。

と、寂しい心を放置していたら、
ネガティブどころか、ダークサイドに堕ちかけた。

寂しいからネガティブになったというより、
心のベースが寂しいから、
よりネガティブに傾いてゆくというか…

感情のベクトルが、
堕ちる方へ向けられる気がする。

逆に、ベースが明るければ、
現実との摩擦が起きても、
前向きに上がって行けるのかも。

だからといって、寂しさで一杯なのに、
無理くりポジティブに切り替えたら、
反発されるだろうし、闇が深まりそう。

寂しい時は、どうしたらいい?

斜め上に見えるものは、なに?

ネガティブをもたらしている
価値観。理想。期待。夢。

それを手放してもいいってことなのかな?


仕事を始めたら、落ち込んできた。

仕事の内容はとても単純なのに、
教えてもらっても、理解できなくて、
更に、一番肝心な所を見落としていた。

それが、ミスの原因。

ぶっちゃけ、聞いてない。
いや、去年は聞いたけど、忘れていた。

ただ、このところ忘れっぽいので、
聞いたのかもしれない。
人のせいにするのはよくない。うん。

それに、私以外の人は、
同じ説明でも難なくこなせているので、
やっぱり私の理解力が乏しいだけなのだろう。

そうして、集中力が切れる度に、
どんどん落ち込んでいった。

時を戻そう。
下がりきったネガティブな天秤に体育座りで
いじけていた私は、なにを考えていただろう。

嫌われているんだろうな。

仕事も出来ないし、
コミニュケーションも取れない。

あとは、苛立ち。
わかるように教えてくれよ。
説明の仕方のせいにしているけれど、
本音は、自分の理解力のなさに、かな。

ここにいたくない。居場所がない寂しさ。
ネガティブな天秤を重くしている感情。

なら、もう一方の天秤にあるのは、真逆の願望。

仕事ができて、
コミニュケーションも取れて、
周囲から好かれている私像。

わかりやすい説明と、
分からないことを気軽に聞ける環境。
もしくは、
説明不足さえ補完できる理解力のある私。

ここにいていいという安心感。
居場所があると思える職場。

うん。理想だね。

そんな素敵な願望に執着しているから、
現実が辛くなっているんじゃないのかな?

願ったところで、叶わない妄想。
今、出来ることは限られていて、
結果できていないなら、それが答え。

私は、仕事ができない。理解力がない。
コミニュケーションが取れない。
環境に期待を押し付けてもムダ。

こっちが、現実。
卑下じゃなく、リアル。

嫌われているとかはさ、
疑念が正しくても、間違っていても、
相手が決めることで、相手の問題。

私が抱える必要はないし、
逆に私が相手をどう思っているかを
投影しているだけなのでは?

自分では嫌っていないと思っているけれど、
人を嫌いになってはいけない縛りがあるから、
自動的に解釈されているだけかもよ?

うん。それかな。

多分、落ち込んだきっかけは、
聞いてないし!!
と、怒れなかったこと。

私も確認しなかったから…
と、すぐに自責気味のフォローが入るので、
中和されてしまったけれど、それは上部の私。

人を嫌いになってはいけない。
相手のせいにしてはいけない。

そんな信念を盲信しているから。

でもさ、
聞いてないことなんかできないし、
それでミスしてるんだから、
なにを見落としているのかくらい
気づいてよ!教えてよ!

あんたの仕事の範疇じゃねえの??

それが、本音。ふふふ。

もちろん、コミニュケーション力があれば、
分からないことを聞けただろうし、
理解力があれば、相手の説明から
仕事としてやらなきゃならないことを
察することもできたのだろうとも思う。

結論から言えば、私は仕事ができない。
だから、落ち込んでしまったんだろう。

仕事のできる私でいたいから、辛い。

なら、仕事ができる私という理想を
手放してもいいのだろうか?

仕事ができない人間だと開き直る?
ダメな気がするんだけど…

仕事ができないというのは、総合結果。
なら、能力ごとに評価してみる?

コミニュケーション力は、ゴミ。
理解力は、小学生レベル。 

これが、できない分野。足りない能力。
なら、できていることって、なんだろう?

私が理解できたことは、ちゃんとやる。
結構、キッチリやる。

慣れると早い。
より効率的に仕事のやり方を編み出してゆく。

こうやって強みとやらを見出してゆくのか。
就活でやることじゃん。

苦手分野を補おうとするより、
できていること、強みに気づく。
そのために、自分を知る。

なら、仕事ができる自分という価値観は、
手放さなくてもいいはず。


人を嫌いになってはいけない。
誰かのせいにしてはいけない。
捨てるのは、その二つ。

嫌いになっても、
相手に対する敬意があればいい。

苦手に思うのは、自分が未熟だからだもん。
嫌いになったり、誰かのせいにするのは、
人間性を認められないから。

私たちは、個性という皮を被った人間の本質に過ぎない。

どんなに分かり合えない人でも、
生み出される感情の源は、命。
全てある愛の状態。

互いの個性に引っ張られてジャッジしてしまうけれど、
個性は、同じ今を生きている愛の表現。

愛は、ポジティブとは限らない。
同量のネガティブも含まれている。

なので、受け入れられない愛があってもいい。

ただ、社会のルールを守っている限り、
どんな個性も目指す世界を創る仲間になりうる。

仕事のやり方に文句をつけるより、
共に平和で豊かな日本を造っている仲間
だと思って、働けないかな?

人を嫌いになってもいい。
誰かのせいにしてもいい。
言い訳だってしていい。

ただ、相手を仲間だと思う。
敬意を持って対応する。

個性の好き嫌いで、相手の個性を裁かない。

今日のテーマは、そんなとこかな。

 fumori 


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