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逃避していたのは、現実ではなく寂しさだったのかもしれない。

最低な自分と
理不尽な現実と
理屈に合わない世界を
そのまんまにしておく。

解釈で辻褄を合わせたり、
自分を責めたり、誰かのせいにしない。

なんでそうなるの??
って、ムカついたり、
悲しんだり、悩んだりしても、
自分を納得させるための理由を考えない。

そういうもの。
それで終わらせる。

やっと、辿り着いた。
ここだと思えた。

若かりし頃、願った場所は、
ここなのかもしれない。
この座標。この立ち位置。

囚われず、偏らず、
自由でも迷惑にならない範囲内。

まぁ、現実はそううまくいかないけれど、
頼っても一方的にならないポジション。
依存しても問題がない天秤の台座。

揺るがない自分は、
揺らいでも今に居られる土台。

感情をコントロールしなくても、
いい意味で放っておける。

機嫌をとったり、解釈したりしない。
素直に思わせておく。

嵐のような激情に天秤が壊れるほど
揺さぶられていても、土台はブレない。

偏らないから。
善悪も、好き嫌いも、関係ない。

バランスを取ろうと思わなくても
しっかり立っていられる。

感情的でありながら、
感情に揺さぶられない場所。

最低な自分と、
理不尽な現実と、
理屈に合わない世界によって、
天秤は均衡を保っている。

私が求めるものと、
求めていないものによって、
世界は完成する。

理想の自分、現実、世界には、
相対する価値観が必要だから。


望むものと、望まないもの。
心はその二つで満ちている。

心が空っぽなんて、嘘。
私の心は、寂しさでいっぱいだった。

寂しさに気づくことが怖くて、不安で、
目を背けていただけ。
だから、空っぽだと感じていただけ。

逃避していたのは、現実というより、
寂しさからだったのかもしれない。

この世界に喜びを感じられない時、
心は望まない感情で満たされている。

寂しさや、悲しみや、怒りや、やるせなさ。
人生の不幸を払い集めている。

今あるものを失えば、
幸福だったと思うくせに、
幸せの要素よりも、
不幸せを数えることをやめられない。

どうしたらいい?

ネガティブで満たされた心を
あるがままにしておいたら、
ものすごくダークな気分になってきた。

気分に浸ってしまうのは、長年の癖だろうか。

心がネガティブで満ちていると気づいたら、
斜めに上を見よう。

もう一方の天秤には、
対極の価値観があるはずだから。

今あるネガティブを否定せず、
あるものはあるものとすることで、
相対するポジティブの存在が立証される。

だから、大丈夫。

ポジティブを見出せなくても、
ネガティブに侵食されても、
斜め上を見上げれば、
求めている感情はちゃんとある。

見ようとすれば、見える。
どちらか一方しか見えないだけ。

気分が落ち込んだら、
否定するのではなく、
斜め上を見上げよう。

きっと、大丈夫。

 fumori 

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