後ろ指を刺されるくらい個性に溢れた人々が、この世界を創っている。

不快という感情は、
自己肯定感を揺るがされるから。

肯定されていれば快いと思う。
もちろん、自分自身に。
大概、現実のおかげとか、せいにしているけれど。

私の世界には、対局する二つの価値観がある。
どちらかを選び続けていることを、
日常と呼んでいるらしい。

選べるものなら、当然、快一択。
肯定しまくりたいし、されまくりたい。

けれど、人は完全にオリジナルな個性なので、
個性を爆発させて生きていたら、衝突は避けられない。

みんなで世界を生きてゆくためには、
個性がない方が楽だったりする。

そうして、個性は削られ、肯定感は減り、
不快はまし、大人になる程に拗らせてゆく。

本音と建前が使い分けられればよかったけれど、
表裏が気持ち悪くて仕方がなかったんだよね。

建前が使えないから、本音を通そうとし、
世界から拒絶され、不足を補おうとした。
認められようとして。

迷走して、本音を変えようとしてみたり。

そんな不足感が満たされるはずもなく、
不足は不足を生み、肯定感は地に落ち、
自己嫌悪という嵐に流されて、
自己否定という海の底で眠りについた。

何をやっても肯定感が上がらなかったのは、そのため。

外の世界に自分を押し付けようとしたり、
自分を殺して、外側の世界観を受け入れたり、
受け入れたふりをして自分を偽ったり。

どれも本音は拒絶されるし、
自己肯定感を怯えさせるだけだった。

補えない不足を、根性論にすり替えたり
しなければよかったのに。

努力しても変わらない短所を、個性と呼ぶ。
捨てても出戻って来るし、
変えようとしても変わらない。
何をしても居座っているもの。

それが、私の個性だった。
変えられるはずがない。
不足を補えば、反対側の長所も変える。
だから、消さない方がいいもの。

たぶん、多くの人はそれを知っているのだろう。
世界は、一般論を唱えてはいるけれど、
個性を捨てろとは言っていない。

だって、個性を捨てられない人々が、
この世界を創っているのだから。

自分がはみ出していることを自覚しながら、
折り合いのつくところで生きている。

わかっている人は、
人を変えようとはしないし、
責めたりもしない。

変わらなくても、許容されると知っているから。

なんで変わろうとしてるのか、不思議なくらいなのかも。
上昇志向とか、成長意欲が強いのね、くらいなのかも。

快い気分は、自己肯定感が高い。
無意識でいながら、許容範囲内に止まっている状態。
自分と世界が、マッチしている状態。

不快感は、意識していないと、
ルールを破る個性を発揮してしまいそうな時。

自分ではいられないから、
肯定感は脅かされている。

快と不快の境界が、個性なのかもしれない。

捨てられる限りを捨て去った先にある
赦されない世界線。
赦されない自分の境界。

とは言え、
道徳や倫理上はそうでも、
他人に害をなさない限りは、
許容されていたりするグレーゾーン。
そこが、個性。

中立地帯を超えると、
完全オリジナルな世界に迷い込む。

誰にも共感されることのない圧倒的な個性。
孤独であり、自由でもある。

私が探していた自由は、ここにあったんだ。
狂者の自由。

だから、現実にいる限り、得られない。

命の中に秘められているものだから。
完全な自由は、心の中でしか表現できない。

今ある世界なら、ね。
この世界が、全てではない。

これまでだって、伸ばしたり、縮めたり、
領土を奪ったり、奪われたりしてきた。

もしかしたら、今より領土は広げられるのかも。

ここまでしか許容されないと信じているのは、私。

ダメだと言われ、諦めた場所もある。
けれど、それが全ての世界で正しいこと?

人は、自分の世界しか生きられない。
見たいものしか見えない。

批判された世界。良いとされる世界。
その論拠って、なに?

自分ルール以外に、
人の世界をジャッジできる基準なんかないよね?

私は、周囲にいる全ての人に赦されたい。
だから、世界が小さいままなのだ。

個性は、自分と世界との境界線にある。
境界線は、中立地帯。

グレーゾーンの境界は、どこだろう?

有刺鉄線はあるけれど、潜って抜けられそう。

その先のキープアウトの黄色いテープは、
誰が張ったものなんだろう?

簡単に破れそう。

その向こうに見えるのは、万里の長城?
始皇帝もいないのに、なぜ?

階段もあるし、避難用の梯子も見える。
向こう側に降りられそうだな。

世界を広げるって、こういうことなのかな?

安全地帯ではない。
だから、なにかあったら、責任を取らされる。
逆に、自己責任さえ覚悟できれば、あとはフリーダム。

誰にも認められなくても、
個性爆発で生きる自由もある。

私は、誰かから認められる世界を選んでいる。

責任がないのは楽だけれど、理不尽極まりない。
本音を我慢しつづけているから。

責任がないということは、
頼りにならないということ。

自分を頼れないから、
余計に世の中のルールに自分を合わせてゆく。

きっかけは、自己肯定感を脅かされたから。
不快を避けようとして、自己否定に堕ちた。

不快感は、単なる感情。
自己肯定感が震えているだけ。
怖いなら、逃げればいい。

逃げることは、選択の一つ。
ただ、言い訳せず、弱さを認めること。

弱いから、怖いから、逃げるのだ。堂々と。

堂々と逃げようと。
世界は広がらないかもしれないけれど、
安全でいたいんだもん。

今日のところは、そうしよう。

 fumori 


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