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その場限りのつもりでも、全ての選択は、未来を選んでいるのかもしれない。

自分を好きになれたら、
私の問題は解決する。

自分を好きになるために、
今日の私は、なにをしようか?

過去を終わらせ
現実的に未来を見つめる

とのことなので、やってみた。

今の私にとって、切実な現実は、仕事。
なので、そろそろ仕事見つけて、働きなさい。
というサインのような気がしている。

コロナと骨折を理由に、
無職の後ろめたさをごまかしている。

お金は欲しいけれど、働きたくない。
そんなクズ野郎です。

働きたくないのは、人が怖いから。
怖くなったのは、嫌われないようにしたから。
好きになってもらいたかった。
評価についても、同じこと。

自分で自分を、認められない。
赦せない。信じられない。

だから、承認欲求に丸呑みされた。
自分を裏切り続けた報い。

それに気づいたなら、
働かない理由は、ないはずなんだよね。

私は仕事をなんだと思っているのだろう?

お金のため?
能力を活かしたい?
役に立ちたい?

仕事をして、対価を得られるのなら、
それだけで、社会の役には立っている。
一般的な企業なら、どんな仕事も有益。

生活のためなら、
仕事なんてなんでもいい。
できるだけ楽に稼げれば、
やりがいだの、手に職などには拘らない。

能力を生かしたい?

多分、仕事に求めているのは、これ。
自分の能力を活かして、充実感を得たい。

問題は、私の能力がなにかがわからないこと。

望んでいる能力はないくても、
望まない能力なら、溢れているはず…
なんだけど、
お金になる程の能力なんて、心当たりがない。

命は、才能。
誰もが能力の原石を宿していて、
時間をかけて開発されてゆく。

私には、特別な才能なんかないけれど、
天才でも、磨いてゆくものだとしたら、
努力なく見出せるはずもない。 

ただ、苦労はしてきたよね?

自業自得ではあったけれど、
思い込みのせいで、現実は理不尽だったし、
辛いものだった。

なら、それが才能になるのでは?

人生で長く培ってきたもの。
望んだわけではないけれど、磨かれてきたもの。

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自己欺瞞から抜け出して、
自分を好きなる方法。

それがわかれば、ノウハウがお金になるとか?

なんて欲を楽しんでみたけれど、
自分を好きになれたら、お金とか才能なんかに
拘らなくなっちゃうんじゃないかしら?

才能を活かして、生計を立てたい。
好きなことを仕事にしたい。

好きなことがある人や、
自分の才能がわかってる人にとっては、
夢の実現は幸せに通じると思う。

けれど、私みたいに
承認欲求に頼って生きてきて、
好きなものがわからない場合、
幸せのハードルは格段に下がる。

健康で、毎日美味しいものを食べれたら、
それなりに幸せと思えてしまう。

理不尽だった世界が、
全てのある今に変わり、
自分の存在を証明しなくても、
命ある限り今にいることを赦されている。

不確定な未来に対する不安や恐怖を、
やったことがないことをやれるチャンス、
できなかったことができるようになる機会、
そう捉えられるようになれたら、
才能を活かさなくても、
誰かに認められなくても、
現実が楽しくて仕方がなくなるのかも。

結局、才能を活かして、成長して、
充実感を得たいという思いも、欲だ。

悪くないけれど、
現実に左右されずに生きたいなら、
どんな現実も楽しめればいい。
楽しまなくてもいいけれど、
恐怖や不安に楽しみを見い出せるかは、
人生の選択肢を倍にしてくれる。

デメリットばかりで、
無意識に消去されてきた選択肢を
選べるようになるということ。

仕事をするのではなく、
お金を稼ぐのでもなく、
才能を活かすでもなく、
役に立つわけでもない。

シンプンに、現実を生きる。

仕事を選ぶのではなく、
現実を選ぶ。未来を選ぶ。

仕事は現実だけれど、
現実を生きることと、
仕事をすることは少し違う。

仕事は現実の1つに過ぎなくて、
仕事をしていても、
仕事以外の現実も存在する。

選んでいるのは、常に未来。

仕事をしていても、
仕事上の決断だとしても、
その選択は、私の未来を創るもの。

仕事の結果ではなく、私個人の未来。

だから、過程が大事なんだわ。
過程というより、選択かもしれない。

現実における選択の全ては、
現実ではなく、未来の自分を創るもの。

仕事でも、家でも、
コンビニでも、ファミレスでも、
本屋でも、車の中でも、
どの現実においても、
その場限りの問題解決にしか思えなくても、
その選択は、未来を選んでいる。

もちろん、そう思っただけ。

 fumori 

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