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田舎のマリーアントワネット。

誰もが同じ愛を持っているはずなのに、
その表現は様々だ。

肉体由来の感覚や、
与えられた情報や、
学んだことがそれぞれ違うから、
解釈も表現も固有のものになる。

同質なのに、表現は、固有。
それが、愛?

なら、私の愛は、どんな感じなのだろう。

陽だまりみたいに温かくて、
いるだけで安心するような愛ならいいな。

それって、どんな人だろう?

出会った人々を思い返していったら、
まさかの、父でした。

母が亡くなってからは、口喧嘩が増え、
疲れる相手に成り果てたものの、
幼いころは、可愛がってもらっていた。

ペットみたいに懐いていたから、猫可愛がりされただけで、まともな愛ではない、と思っていたけれど、それも愛の表現だったんだな。

愛されて当然と思うくらいに、愛されまくっていたから、それが愛だなんて、気づいていなかった。本当に。ついさっきまで。

父の愛に文句をつけていたのは、私だった。
受け取りたい愛だけを選んで、
それ以外を拒絶していた。

なんて傲慢なんだろう。
どこが下っ端キャラなんだろう。
田舎のマリーアントワネットじゃん。
(ここで言うマリーアントワネットは、無邪気の象徴です。「ベルばら」大好きです)

そりゃ、滲み出ちゃうよね、何様感が。

周囲の下々の民が私を愛することは、当然じゃないの。なのに、なぜ、愛さないのかしら?
そりゃ、不満だろうよ。

全く、世の中は間違ってるわ。
勘違いしてるのは、あんただよ。

愛されることがデフォルトだから、
立ち位置がおかしなことになっちゃってるのよ。

愛されキャラでもないくせに、
ポジション取りしようとするから…
もう、イタすぎる。自分。

私を愛するかどうかは、相手が決めることで、
私が相手を好きでも嫌いでも、関係ないのよ。

しかも、愛されて当然のくせに、
自分は愛を見失ってて、愛せない訳でしょう?

なんかさ、よく今まで生きてこれたよね。
私の周りに居てくれた人々って、もしかして、ものすごくいい人だったりするのかな?

いや。なんか。生きててスミマセン。

これまで私に関わって下さった方々、本当にすみませんでした。

きっとそれぞれの愛を表現して下さったはずなのに、ほぼスルーしてたことになってますよね。
愛されていながら、嫌われているとか文句言ってたかもしれません。

与えられた愛に気づかなくて、ごめんなさい。
愛を無視してしまって、ごめんなさい。
与えられて当然と思っていました。ごめんなさい。
愛することを惜しんで、ごめんなさい。

こんな私が、赦され、愛され、存在することを、お赦しください。
愛して下さって、どうもありがとう。
皆様の愛に感謝します。

今日のこの世界を、心から愛しています。

 fumori  with love


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