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過去の自分はいつだって悩んでいた。今日の私のために。

昨日の私と、今朝の私は違ってしまった。

幸福なんてアンバランスな感情を求めるのは危険。肯定感を高めれば、日々に満足できる。
なら、それだけでいいや。
そのために、小さな思いつきを叶えてゆこう。

なんて決意したのは、確かに自分だったはずなのに、今朝の私は、幸せなんぞを定義していた。

今、この時代、この世界に、
私として生きられることが、幸せ。

人は、感情の生き物なので、
私が探し続けている自己や価値観は、感情。
とは思っていた。

けれど、欲しい感情は様々で、優先順位をつけられるものではなかった。

自己肯定感。自分への期待。未来への信頼。
他者の価値観による支配からの解放。
どこにいても自由を感じていられること。

そして、今朝、突如として言い表すことが出来るようになっていた。

自分であることに幸福感を感じること。

それが、私の求めていた感情の最上位。
そのために、私はずっと悩んできた。

過去の自分には、後悔しかなかった。
なんて、大嘘だ。

日記を見返せば、いつだって悩んでいた。
確かに、夢や希望は諦めてばかりだったけれど、悩むことを諦めたりはしなかった。

悩み抜いた結論が、間違っていて、がったりしたら、落ち込んだりもしたけれど、過去の間違いによって、選択肢が絞られ、今日の答えにたどり着いたのかもしれない。

今日を、今を肯定できれば、
全ての過去は報われる。

わかっていたのに、できなかった。
諦めるわけにはいかなかったから。

どんな些細な願いでも叶える。
答えが見えるようになったのは、昨日の私が決意したから、かも。

全てのパーツが揃わないと、開かない扉。

人生に対する問い。
自身の価値観。
無意識の支配。
本能を満たす。
死の恐怖。
幻想と創造。
世界のシステム。
自分が求めるもの。
赦し。愛。死。
信じる。決める。委ねる。

そんなルートを行ったり来たりしながら、
答えなんかないんじゃないかと思いながら、
それでも、悩んで、時々の答えを出し続けた。

もう、正直、悩んでいたら現実逃避できるから、趣味として悩んでいたのかと思っていた。
無趣味な私の唯一の趣味だと。

それでも、答えが出た。
間違っているかもしれないけれど、それはそれ。
納得できる答えは、やっぱり気持ちがいい。

これまでみたいに、こじつけたり、辻褄合わせようとしなくてもいいもんね。

素直に悩み続けて、失敗しつづけた過去の自分に、感謝したい。

責めてばかりで、ごめんね。
八つ当たりだったわ。
今が辛いから、過去のせいにして、うさを晴らしていた。

なんの確証もなかったのに、今日を信じていてくれて、ありがとう。
どこかで諦めていたら、きっと誰かの言葉を借りて、自分の願いだと錯覚したまま、また迷路に迷い込むところだった。

私として生きられることが、幸せ。
なんて、そもそも借り物っぽい言葉だけれど、やつと腑に落ちた気がする。
私として、という部分が、クリアになった。

制限せず、支配されず、境界線を引く。

自由のために、境界を設ける。
偽らないために、建前や儀礼を尽くす。

現実との間に線が引けなかったから、私がなくなってしまった。
けれど、気づいたら築かれていたボーダーを壊さない限り、私は封じられたままだった。

現実に迎合することが辛かったのは、自分を失ってゆくからだと感じていたけれど、逆だったのかもしれない。

その程度の辛さでことが済むならと、迎合することを選んだのかもしれない。

失うフリをして、守ることができるなら、辛苦を引き受けることくらい、ウェルカムだったのかもしれない。

どんだけ自分好きなのさ…

でも、ありがとう。

今は、自分しか愛せないのかもしれないけれど、いつか、誰かのために使うようになるんだろうな。

自分への愛と同じだけ、世界を大切に想えるはずだから。
私の世界は、そういうシステムになっているので。

自分のためにしたことが、
この世界のためにもなる。

世界のためにしたことが、
自分のためにもなる。

どっちでもいいから、
そんななにかができる自分でいたい。
なにかを提供できる自分になりたい。

なるほど。いいっすね。

今後の人生に、なんの期待も持てなかったけれど、今後の方が壮大になるかもしれません。

…し、ならないかもしれません。あしからず。

 fumori 

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