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完璧主義は、全力の無意識で曖昧さを潰し、思考を偏らせ続ける。

価値観を書き換える作業をしている。

自己受容もしたつもりだし、自分を貶めるような価値観やジャッジは手放したつもりなのに、ありのままの自分は、相変わらず好きにはなれない。

むしろ、恐れている。
正直、もう知りたくないくらい。
あまりにも理想の自分とはかけ離れているから。

嫌悪している。憎んでいるし、赦せずにいる。
それが、本音だ。
すまん。自分。


去年の私と比べたら、ネガテイブな気持ちは激減したけれど、フラットな状態が増えただけで、ポジティブとは言えない状態。
それが、今の私だ。

このままの状態が続くのは、よろしくない。
価値観は、信頼で出来ている。
私なりの価値観なら、私への信頼が不可欠だ。

一日のうちどのくらいポジティブでいられるかと言えば、心許ないにも程がある。

と、下書きして、一晩たった。
そして、気づいたことがある。

私は、完璧主義者だ。

もちろん、自覚はあった。
ただ、自覚があれば、思考の偏りを意識できると思っていた。
けれど、読み返すまで気づかなかった。
昨日は完全にスルーした私の完璧主義っぷり。
お気づきだろうか?

去年の私と比べたら、ネガテイブな気持ちは激減したけれど、フラットな状態が増えただけで、ポジティブとは言えない状態。

はい。ここ。

ネガティブな自分をなんとかしたいから、ネガティブを減らして、ポジティブに感じられることを増やそうと思った。

それは、いいとして、昨日の私は、フラットな気分が増えたことに、価値を見出していなかった。

フラットな状態なら、いいじゃない。
当たり前にそう思えないところが、私の完璧主義たる所以だ。

ポジティブに染め切らない限りは、私の戦いは終わらない。そんな覚悟。ストイックさ。
最前線を思い出す。
自分を殺しまくって、誰もいなくなった戦場に、また舞い戻っていた。

なぜ、感情をポジティブで満たさなければいられないのか?

多分、私の中には、ポジティブの軸しかない。
ポジティブ100%の場所に、軸が立っているから、相当に気分が上がらない限りは、ポジティブに感じない。
なので、感情の殆どが、ネガティブになる。

そのくせ、私自身は、ネガティブとポジティブの間に軸があると思い込んでいた。
完璧主義っぷりを発揮して、ちょうどど真ん中に置いてあるのだろう、と。

そもそも、座標軸は真ん中にあるもの、と思い込んでいるから、自分の軸がそこにないなんて発想そのものがなかった。

一般的な座標軸としての認識と、
自分軸のポジションの差。 

ポジティブに軸がある理由はわからないけれど、真ん中にない理由なら思い当たる。
それが、完璧主義。

「どっちとも言えない」という状況に耐えられないのだと思う。
なんというか、いたたまれない。
気持ち悪い。落ち着かない。
だから、決着をつけたくなってしまう。
完全なるゼロヒャク思考。

ここまで洗脳されていたとは思わなかった。
ということは、無意識の世界では、当たり前だったということになる。

これが、全てのことに適用されているとしたら?

現実と対話する暇なんかない。
自分の感情に意識を向ける暇も。

私の無意識は、全力で感情を振り分け、曖昧さを潰し、思考を偏らせ続けていたことになる。

宝の持ち腐れもいいとこじゃないか。
素晴らしい能力を秘めた無意識を存分に使って、望まない前提を作り続けてきたのだから…

なんか、おつかれ。
私もどっと疲れたけれど、無意識はとっくに疲れ果てていたんだろう。

私の完璧主義は、自覚さえスルーしてしまうくらいにナチュラルになっている。
ジャッジするなと言っても、無意識にある限り、してしまうのだろう。困ったな。

私を完璧主義にした信念って、なんだろう?

本当の自分を恐れているから、かな?
誰にも見せられない、隠しておきたい自分がいる。

誰かに傷つけられたとか、嫌われたとか、裏切られたとか、バカにされたとか、信用できないとか、そういうこと?

この世界に対する不信感。
つまり、自分に対する不信感。
自分自身によって裁かれた罪。

良心によって裁かれたことに、
納得がいかなかったのだろうか?
私は悪くない、とか思ったのかな?

素直に、謝って、許してもらうことができなかったのかな。
本当は謝らなくちゃと思っていたのに、勇気が出せなくて、罪悪感を抱えたままになっている。

謝らなければならないと、わかっていたのに。
良心の呵責。

私の抱えている重荷が、どれほどの罪になるのかは、きっと人による。
人間として最低だ、と感じる人もいるだろうし、その程度のことを気に病むなんて、と不思議に思う人もいるだろう。

他者から裁かれ、非難されるなら、その人にとって私は、その通りの人間なのだろう。
その人に直接迷惑をかけたのでないなら、許されなくていい。
その人にとっての私は、罪人のままでいい。

ただ、私だけは自分を赦そう。
良心に、赦しを乞えばいい。

恐れていたのは、それかな。

赦しを乞うということは、二度と同じ間違いはしないと約束すること。
それは、現実的には損をすることになる。

だから、私は赦しを乞いたくなかったのか。

得をしたいという欲が、
私に罪悪感を抱かせ続けていた。

わかった今も、ちょっと嫌だもの。
良心に赦しを乞うのは、躊躇う。
あれだけ赦してくださいと願いながら、対価として今後の自分を制約するのは、嫌なんだ。

天使と悪魔の葛藤かな。

さて、どうしよう?
私は、良心と取引するのかな?

 fumori 

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