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自分の人生は、いつだって当てが外れているもの。

いい歳をして、夢を見ている。

自分として生きていても、
誰も傷つけることのない世界。

誰もが、自由。
孤独を引き受け、その淋しさを知り、他者そのものを尊重し、ありのままの世界、あるがままの現実を認めて、命を生きている。

自分を生きたとしても、
他者の利害を侵さない。
そんな解放区で生きたい。

夢みたいな話。
けれど、それに近いことは可能なのだと思う。

現実ではなく、精神世界の話だから。
ものは考えよう、というやつ。

今の私には難しいけれど、多くの人々は、それぞれが選んだ心地よい世界で、気楽に生きているのだろうとも思う。

仮に、私が知るこの世界しか存在しないのなら、
むしろ、滅んだ方がいい…
いや、滅亡するのは、私か。
適合できないのなら、滅ぶしかないしね。

そんな社会不適合者が、できもしないのに、
世界に適合しようとしてきたんだもの。
そりゃ、人生ハードモードでしたよ。

その上、ハッピーになりたいなんて期待しているのだから、余計にね。辛さも倍増ですよ。

今が辛いから、幸せになりたい。
それは、不幸を呼び寄せる呪文。

起点は、いつだって今だけ。
命は、今しか生きられない。

今が辛いから、今ではない世界を夢見ることと、
今の自分が求める未来を思い描くことは、違う。

立ち位置が、今にあるかどうか?

世界に適合する自分になる。
これは、世界が主語であり、主役。
私は、従属している状態。
当然、今ではないポジション。

望まないこの現実を、
私に適合する世界として捉えるためには、
どうしたらいいものか?

こっち。

世界に適合させるのではなく、
私に適合する世界を探す。見出す。選ぶ。

多様な世界には、多様な価値観が混在している。
世界に居場所がないのは、採用している価値観が自分のものではないから。

自分ではない価値観で世界を見ているから、
自分ではない価値観に染まろうとして、
ハマれないまま、不適合になっている。

社会に適合できないのだとしたら、
その世界で生きる必要はないのかもしれない。

私にフィットした価値観ではないということ。

主語を私にする。

主観で生きてきたつもりだったけれど、
外から自分を見て、ジャッジしていた。

個体差があるオリジナルな人間としてではなく、
人類の一つ。機能とか、構造とか、人類とはこういうものという説明書通りの物体。

同じ人類に過ぎないからこそ、他者と比較して、自分を知ろうとしてきた。
そのせいで、心が傷つこうが、フリーズしようが、構わなかった。好奇心の方が強かった。

ただ、自分という存在を知りたかった。

そんな強欲な好奇心の末、知るに至った自分というやつは、あんまりにも期待外れだった。

人より秀でた才能なんか一つもない。
単なる社会の歯車。
私でなくてもいい世界。
いてもいなくても、誰も困らない。
むしろ、社会の迷惑。
歪で、あちこち壊れていて、
歯車としてさえ、使い物にならない。

社会に適合しないというのは、そういうこと。

もう少しマシな人間だと信じ込んでいた自分は、どうしようもないダメ人間だった。

けれど、ダメなのは、私だけじゃなかった。
比較する限り、誰もがダメ人間に成り果てる。

それが、この世界のシステムであり、
ダメさは、人としての本質だった。

ダメだとわかっていても、やってしまう。
ダメと言われるほど、やりたくなる。

思考や言葉に、簡単に支配されるくせに、
心に反抗されると、身動きが取れなくなる。

思い通りに生きられない。
思う通りに生きたとしても、
思い通りの人生とは思えない。

だって、ダメなことろが、人の本質だから。

ダメだから、よくなろうとする。
嫌だから、不快だから、不便だから、
世界は発展してゆく。

人がダメなのは、進化する世界のため。

本当か嘘かはともかく、
そんな風に自分や他者を捉えてみる。

それが、今の立ち位置。

独りよがりなジャッジだとわかっていても、
嫌な現実はなくならない。
それを無理やりポジティブに解釈するのではなく、解釈と現実は別物だと認識することができれば、あるがままの世界を認められないかな?
渋々だとしても。


思い通りにならない人生こそ、正道。
思う通りの人生なんて、存在しない。
思い通りの人生は、自分以外、
他者の人生にしか存在しない。

お金持ちで、誰からも愛され、上品で、
感じがよくて、親切で、チャーミングで、
私より才能があって、私より美人で、
私より賢くて、私より気が利いて、
私よりオシャレで…

私より素敵な人生を送っている人は、
いくらだっている。
この世界は、そういうシステム。
比較によって、発展してゆく。

だから、自分にはないものを
手に入れようとしてきた。
自分さえ捨てて。

それなのに、
努力と運で得られた現実は、
願っていた世界ではなかった。

いつからか、手に入らない現実を夢見て、
挫折し続けるしかなくなった。

夢は叶う。願う世界は手に入る。
それが、幻想だった。

たぶん、自分の思い通りの世界で生きることはできないのだと思う。

私より幸福な条件で生きていても、
私と同じネガティブな感情は抱く。

私からしたら、条件的には不幸でも、
私以上にハッピーに生きている人もいる。

他者の人生に、思い通りの人生を見出してしまうから、自分の人生はいつだって当てが外れてしまう。

自分の人生に期待できなくなったのは、
人生を思い通りにしたかったから。
挙句、裏切られることが、辛くなった。

…そりゃ、当てなんて外れるよね。
他人の人生を真似しようとしたって、
本人じゃないんだから、できるわけがない。

私が願う思い通りの人生は、
私のものではないし、
私の人生には存在しない。

そもそも思い通りの人生なんてない。

今の自分が快適で、
居心地がよくて、
生きやすい未来。

思い描くなら、そんな程度でいい。
今の自分から派生する未来なら、
大きな野望は望めない。

苦労するのは、目に見えているもの。

こうして書き出すと、当たり前のことなんだけれど、現実を生きているとなんでか気づかないものなんだよね。

分不相応な未来を望んでいたから、
苦労した割に、何も得られなかった。
真っ当なだけに、切ないわ。

さて、大したことのない身の丈を知った上で、
どんな未来を願うんだろう?

今から派生する未来って、どんな感じ?

快適で、居心地が良くて、生きやすい。
食うに困らず、元気で暮らしている。
この世界と自分自身に感謝している。

いいじゃない。
現実はどうあれ、ハッピーオーラ満載な感じ。

命に存在意義なんてないけれど、
ちゃんと活かしているというか、
地に足がついている感じがする。

選り好みせず、やることやって、
気持ちが清々していそう。
うん。それ、大事。

あと自我としては、
今の私より自由に使えるお金があるといいな。
使い切れないほどの資産を譲り受けるなんてのは望み薄なので、使う以上に稼げちゃってるとか。

人生の時間を切り売りして、
我慢して働いて稼いだお金ではなさそう。

どんな仕事をしている時でも、
ちゃんと今の自分でいる。

出来なくても落ち込まない。
やったことのないこともやってみる。
失敗したら、言い訳せずに素直に謝る。

どうしたら現状がよくなるかだけを、
集中して考えている。

生き生きしてそうだな。

人より秀でていなくても、嫌でも自分ができることならして、誰かが笑顔になったり、少しでも世の中がよくなると信じられるなら、影で何か言われても、やる。

自分の心を動かす。
清々と、晴々とした気持ちを選ぶ。

現実の結果ではなく、
やった後、得られそうな気持ちを選ぶ。

2022年は、そんな時を過ごしたいな。

そうやって命を使うことができたら、思い通りの人生を生きているように見えるのかもしれない。
自分としては、思い通りじゃないとしても。

 fumori 





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