今と自分と世界のある場所。
今、全てが存在する状態。
肯定も、否定もせずに、ただあること。
それを、愛と呼ぶのかな?
愛と好きの違いがよくわからなかったのだけれど、愛が今を刻む命に付随するものだとしたら、対義語は全然違う言葉になる。
好きの反対は、嫌い。愛は、死。
主観と状態。
昨日、愛には対義語がないと言ったけれど、私たちは生きている間のことしかわからないので、死ぬまでは、愛は唯一絶対になりうる。たぶん。
逆に、愛以外の全ては、比較に晒されている。
現実も心も、思考の捉え方であって、主観からは逃れられない。どれだけ理不尽でも、不当でも、それは比較の基準で判断されたもの。
不当だと思うのは、得している人がいるから。そうなろうとがんばったのに、報われなかった。
だから、もっと不幸な人を探して、心を慰めようとする。そして、そんな自分を卑しいと思う。
そうやって、次々と心をかき乱してゆく。
主観による相対的な基準には、救いがない。
どちらも存在するし、間違ってもいないから。
けれど、愛は状態。全てが存在する様子。
理不尽や不当と思う思考は存在するけれど、今の私には全てがある。なら、理不尽も不当もない。
現実をジャッジせず、肯定も否定もしない。
ただ、今を刻む私の命には、全てがある。
現実に不足を感じていても、心が乱れていても、主観や比較から離れることができれば、不足はないし、乱れてもいない。
むしろ、不足を感じると同時に、満足も生まれているはずなので、相殺されている?
そもそも全てがあるのなら、
なぜ、不満や不足を感じるのだろう?
今あるものを維持してゆくだけでは満足できないから。今までにないものを生み出すことが、人間の性分だから、かな?
そして、自己満足という欲望を満たすために、私たちは自分を向上させようとする。
そのきっかけは、二つ。
足りないから補う。
できたら、便利。嬉しい。
このままではいけない。これが、比較の基準。
努力で得たとしても、自分よりも持っている人に出会えば、まだ足りなくなってしまう。
仮に世界一になったとしても、永遠にそれを維持することはできないのだから、いつかはまた足りなくなる。
なので、足りないという思いに駆られたら、
全てがある愛の場所に戻ってみる。
考えるのは、それから。
できたら、楽しそう。
あったら、便利。
そんな時は、迷わずチャレンジしてみる。
今を否定していないから、やった分、成長できる。失敗しても、マイナスにはならない。
スタートが満タンだから。
時間と労力は無駄になるけれど、失敗を経験したことで、同じ失敗を選ぶことはなくなる。
選択肢が消えれば、成功を選ぶ確率は増える。
失敗するほど、成功に近づく。
なので、やりたいことを探すのではなく、
やりたいという気持ちになるのを待つ。
なにかが不足しているから、
探そうとするのだと思う。
なので、探そうと思った時は、回復が必要な時。
美味しいものを食べたり、音楽を聴いたりして、気分がよくなりそうなことをする。それもあり。
現実を満たせば、心も満足するから。
けれど、心の中に回復ポイントを作っておけば、どこにいても、どんな時でも、即座にフルになる。全てがあることを思い出す。
簡単に安心が手に入る。
すごいぞ。私の回復ポイント。
それを、愛と呼んでいいものか、まだわからないけれど、たぶん、祈りは似たものなのだと思う。
神仏の存在を立証することはできないけれど、
「自分の心の中には存在する」ということにしてしまえば、その力を借りて、救われるはず。
信じれば救われる、という価値観を信じるから、
救いが生み出される。
結局、自分を救うのは自分なのだけれど、
自分自身を絶対的に信じることは難しい。
絶対に救うと確約した意識は、実在しないから裏切ることはない。だから、信用できる。
自分が裏切らない限りは。
自分の中に、絶対に救われるという場所、確信があることで、救いの道を見出せるようになる。
絶望とともに、希望が生まれる。
その価値観を信念とするなら、どんなに救いがない状況であっても、突破する道はある。
逆に、希望には、足元をすくう絶望もある。
絶望しかない現実に、心まで絶望することはない。心は、全てあることを知っている。
私の心には、回復ポイントがある。
そこへ戻ることができたら、
全てあることを思い出させてくれる。
絶望とともに希望が生まれたことも。
命ある限り、二つの選択があることを。
愛は、圧倒的な自己信頼みたいなもの?
存在肯定かな?
肯定だと否定も出てくるので、見守ってる感じ。
ふーん。そうなんだ。
つまりは、共感か?
コミニュケーションが上手な人は、
愛があるってことなのかな。
なら、愛を忘れなければ、私も人付き合いが上手になるのかしら?
今と自分と世界の全てが、同じ場所にある。
うまく言葉にできないけれど、
そんな状態が今の私が考える愛。
考えるものではないけれど、
考えないと言葉にならないので、あしからず。
fumori
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