弱いから、世界は優しい。
どうしても許せない自分がいる。
許しても、許しても、
亡霊のように過去から蘇っては、私を苛む。
なぜ、許せないのか?
過去の全てを許して、愛して、
生きて行きたいのに、
つまりは、死んで行きたいのに、
なぜ、許されないままなのか?
ほとんどの過去の痛みは、癒された。
思い出すと胸が痛むことはあるけれど、
以前のような切り裂かれるような痛みとは違う。
チクっと刺さる。キュッとなる。
比べるまでもないほどのかすり傷。
けれど、あの罪は消えない。
未だに心を掻きむしる。
あれほど幼なかったのだから…
今にして思えば些細な罪なのに…
言い訳ならいくらでもある。
けれど、それは、
許されてはいけない罪だった。
許すことができないのは、
思考の偏りやジャッジのせいだと思ってきた。
けれど、
愛が私の全てを知っているなら、
いくらジャッジが断罪しても、
大元の愛は許しているはず。
愛は人の本質で、私の全てを知るもの。
なら、私を許さないのは、愛だ。
偽りを憎み、どんな自分であっても
ありのままであることを許す愛が、
許せないほどの罪を過去の私は
犯してしまった、ということ。
罪を犯した私は、
本質から外れていたということ。
踏み外してはいけない道だったということ。
愛が許さない偽り。
愛を守っているプライド。
許されないことで守られてきたもの。
許せば、誇りを失う。
だから、愛は、決して私を許さない。
偽りを許さない。許してはいけない。
許されてはいけない罪とは、
許せば自尊心を失うもの。
それを失うくらないら、
死んだほうがマシだから?
死んだほうがマシなプライドって、なんだろう?
前世は、武士かい?
今の私には、そんなプライドなくていいような気がするけれど、幼い私が心を砕かれながらも、必死に守り続けたものだから、大切にしたほうがいいのかな?
そもそもら愛は無限なのに、失われるものではないはずなのに、なぜ、守っているのだろう?
愛を使わせないため?
無駄遣いしないように?
愛を惜しむのは、不安だから。
自分を裏切ったり、偽ったりして、
不信感を抱くから。
見返りや損得を考えるから。
思考がジャッジするのは、
心に傷を負ったから。
愛は、弱いのかな?
人の本質は、弱さなのかな?
だから、赦しや愛が必要で、
思いやりや親切が好きなのかな?
意地悪や卑劣な行為を嫌悪するのかな?
愛が私を許さないのは、
意地悪で、卑劣だったから。
謝って許される程度を超えていたから。
二度と踏み外さないように、
肝に命じるように押された焼印。
幼い心に、永遠の痛みを伴って…
そこまでの罪だったとは思えないんだけど、
もしもあの罪が許されていたら、
別の人生を生きていたことは、確かだ。
もっと明るく、ポジティブに、
謝ればなんでも許されると思って、
生きていたかもしれない。
そんな人生に危機感を抱いたから、
許すことができなかった。
だとしたら、
ベストな判断だったのだろう。
いつだって、この人生が最善なのだ。
結果がどうあれ、選べる道は一つだけ。
けれど、どう思うかは、決められる。
必ず救いはある。
犯した罪が許されることはないだろう。
けれど、
罪を犯した私を赦してみようと思っている。
現実は戻らない。
許されない罪は犯した。
愛の断罪は、心を蝕む。
そのために、愛を使う。
罪を許すことはできないけれど、
犯してしまった自分を愛することは?
罪を抱えているからといって、
断罪しているからといって、
愛されていないわけではない。
許されなくても、
赦されることはできる。
それが、愛の効能。
それが、愛なのかもしれない。
断罪していながら、愛するのだから、
SMチックな世界観に不安になるけれど、
対極を生み出すから、包括できる。
愛は、私たちの始まり。全て。
世界の中心にあるもの。
人としての本質は、弱さなのかな。
弱いから、誰もが間違いを犯し、
誰もが許すことのできない傷を抱えている。
だから、愛を使う。
愛を使い合うことで、
許されなくても、赦し合う。
自分で愛を持ちながら、
誰かから愛されたいと願ってしまうのは、
赦されたいからなのかもしれない。
ここにいていいと、
自分では思えないから。
自分の愛を失っているから。
弱いから、強くあろうとして、
傷つきやすい心に鎧を纏った。
愛と遮断され、本質が見えなくなり、
淋しさから、もっと強くなろうとしてきた。
けれど、弱いから、
思いやりや優しさが好きで、
思いやりや優しい世界ができる。
人は弱いから、
愛のある世界を創り出せるのかもしれない。
fumori
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