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望む未来は、「惨めな自分にも居場所があるネガティブな未来」でいいのかな?

なんとなく気が重い。
気分が悪いわけではないのだけれど、
いいとは言えない。

無意識がネガティブなのかな?
具体的な理由はないけれど、
理由のわからない罪悪感に行き着いた。

自分自身を赦せない。認めたくない。
価値のない人間。価値のない人生。

そこまで嫌わなくてもいいと思うのだけれど、
自分を批判する時の私は、容赦ない。
それほど、私のことが嫌いなのだろうか?

どうすれば、自分を好きになれるのだろう。

この答えを知るために、生きてきたようなものだ。答えがわからないから、生きることに執着しているとも言えるけれど。

素敵な自分になれば、きっと好きになれる。
そう思って、いい人キャラを演じてみたものの、リアルな自分とのギャップに疲れ果てた。

それを踏まえて、ありのままの自分で生きようと思ったら、ありのままを履き違えてしまった。

ありのままの自分が、私の思い描いているような自分ではなかったことに気づいても、まだ殻を破ることができずにいる。

それかな?
気が重いのは、変わっていないから。
昨日の私と同じだから。

快適な牢獄暮らし。

鉄格子に鍵はかかっていない。押せば開く。
出て行こうとすれば、いつだって外に出られる。

けれど、出て行ったら、生活はどうなる?

ここにいれば、飢えることはないし、安全に暮らしてゆける。冒険するリスクより、ここで気楽に暮らしているほうが、得策だ。

自由なのに、不自由を選んでいる。
自由はリスクが高いから。

損得で考えてしまうのは、出てくほどの魅力が外の世界にないから。興味が持てない。
好奇心に駆られて、冒険に出て行って、結局、失敗ばかりだったしね。

勇気がない。面倒くさい。
失敗するなら、もうこのままでいい?

私は、人生に飽きている。
自分自身に。

変えたいのは、環境でも人生ではなく、
自分なのかもしれない。

自分が変わることができるなら、快適な牢獄で一生を終えても、いいのかもしれない。
最大の欲求は、楽に生きてゆきたい、なので。

人と交わっても、余計なことを言わないようにするのが精一杯で、楽しくなんかないけれど、退屈な生活にとっての刺激だと思えば…
それでも、惨めか。

みんな楽しそうで、いいな。
それが、本音。

私だって、気晴らしに雑談とかしたい。くだらない話でも、つい声を上げて笑ってしまうような会話がしたい。
それができないから、惨めに思う。自分を。

みんなが当たり前にできることが、できない自分を、私は見たくないのかもしれない。
憐れだと思う。そう思うことで、傷ついている。

私は、自分を憐れんでいる。
そして、私をを憐れむ自分を憎んでいる。
同情されることで、プライドが傷ついている。

憐れまれるような存在ではない。
惨めだとしても、同情なんかいらない。

私は、可哀想なんかじゃない。 

人並みにできなくても、そのことで上に立つんじゃない。できるできないで、人の価値を決めるんじゃない。

職場だから、仕事ができなければならない。
仕事ができる自分でいたかった。
足手まといは、嫌われる。
やる気がある人は、勝ち抜いてゆくことを楽しめるのだろう。私は、辛かったけれど。

コミニュケーションが上手ければ、仕事でなくても居場所は作れる。口下手だから余計に仕事で補おうとしていた。

自意識過剰だね。
けれど、強迫観念的に、そうするしかないと思ってしまうのは、居場所がないから。

欲しかったのは、そっちだ。

会話が上手くなりたいと思ったのも、
仕事を頑張っていたのも、
居場所が欲しかったからだ。

好かれたい。嫌われたくない。
それだけじゃなかった。
同情されたくない。可愛そうがられたくない。
プライドを傷つけられたくない。
惨めな私を、見ないで欲しい。

私が望む未来は、
そんな惨めで、自意識過剰な私でなくなること…
ではなく、そんな私の居場所がある未来だ。

人並みにできない自分を憐れむことなく、
否定も同情もせず、堂々と生きられる自分。

惨めな自分を好きになることは難しいけれど、
恥じている自分に引け目を感じるのは嫌だ。 

恥も、同情も、憐憫も、自意識過剰も、
単なる自己表現の一つ。
ネガティブは、感性の幅。
いいことじゃないけれど、悪くもない。

自分から取り除こうとしない。
どんな自分もジャッジしない。

なら、惨めな自分を非難されたとしても、
傷ついたり、開き直ることはない。

できなくて迷惑をかけてしまうのは想定内。
なら、素直に謝ればいい。

できないことをやろうとしなくていい。
その代わり、迷惑をかけている自覚を持つ。
嫌味を言われても、素直に謝る。
そして、やらない。

無責任に感じるけれど、頑張っても人並みにできないことは、謙虚に謝り、やらないという選択があってもいいのかも。

惨めな自分に同情しない。
恥じている自分を憐れまない。
人並みになれない自分を赦す。

そんなネガティブな自分のための居場所。
ネガティブな自分を表現できる世界。

探していたのは、そんな未来。
自分の力量にあった場所。

ネガティブだらけの未来になりそうなのに、
なんで心が軽やかなんだろう?

 fumori 



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