私の普通を生きようと思う。
お金は、人生のサポーター。
お金に対する考えを改め、5日が経ちました。現実は何も変わっていないのだけれど、意識の上では、目まぐるしいほど変化しています。
さほど負荷なくできることが、誰かの役に立って、その感謝の気持ちがお金として私をサポートし、そのお金を使うことで、また別の人をサポートして…
そんな豊かで、平和で、美しい調和した世界で生きられたらいいな。そんな世界を創れたらいいのに。それが、昨日のこと。
お金に困る人がいない世界は、誰も溜め込まなければ、資本主義でも可能なのかもしれない。
バトンとして届いたお金を、次の人にリレーする。それが、巡り巡って、また、バトンとして届けられる。豊かさの無限ループです。
現実で試そうとは、思わないけれど。
通帳に残高がなかったら、不安で仕方がなくなるし、仮にその不安を解消できたとしても、お金のパワーは魅力的。
持っているだけで、自信がもてる。偉くなった気がする。自分の足りなさを補完してくれる。
自分の不足感、無価値観を解消できたとしても、自分が何を好きかわからなかったら、使いようがない。豚に真珠もいいけどさ。
現実は、不安と、欲と、習慣でできている。
そんなダークな認識なので、あるだけ使い切っても、お金は入っては来ないでしょう。
けれど、いつかの未来は、宵越しの金を持たなくても、楽しく生きられるかもしれない。
今の日本のこと、私は結構、好きなんですよね。
幼い頃、理不尽だったり、おかしいと思っていたことが、いつのまにかなくなっていて、こうなったらいいと思っていた世界が、今ある現実だったりします。
なので、未来の日本が、楽しみでなりません。
その時が来るまで、コツコツ貯金するかな?
いや、時代の到来よりも先に、寿命が尽きたら、死んでも死に切れない。
日常は慎ましく、時々は楽しく使う?
なんか、普通だな。そうだった。それが、私だ。
地に足つけて、私の普通を生きよう。
fumori with love
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