選ばなくてもいい嫌なことを、選ばずにはいられない。
自分を好きになれたら、
私の問題は全て解決しそうなので、
毎日、1つくらいはしようと心がけている。
ただ、
自分のためになることと、
自分がしたいことの選択に迷う。
決めたことをやり切ることと、
無理をしないでその場の選択に委ねることとか。
このところ骨折のリハビリを兼ねて、
短い散歩をしているのだが、
目的地の手前で足が痛んできてしまい、
引き返そうか、頑張ってみるか、
大いに迷ってしまった。
全ての選択は、未来になる。
現実は、選択を促す手段。
そう思えるようになったせいか、
より優柔不断度が増した気がする。
いい加減で、逃げグセがあるくせに、
むやみに頑張るところがあって、
これまでなら頑張っていたところだ。
誰に褒められなくても、
無理をする自分を誇らしく思えたから。
無理をしなければ、
自分を認めることができない、かな?
昨日は、引き返してみた。
途中で諦めたことで、
罪悪感に苛まれるかと思ったけれど、
それほどでもなかった。
ちょっと、驚いた。
これまでなら、引き返す道中は、
ずっと責め立てられていたし、
家に帰ってからだって、
気を抜けば、自動的にそうなっていた。
そんな無理を向上心だと思っていたのだから、
健気すぎだろ、私。
ずっと、勘違いしていたのかもしれない。
途中で「引き返そう」と囁いているのは、
悪魔だと思っていた。
そんな甘言にのってはいけない。
誘惑に負けてはいけない。
けれど、それは悪魔の声じゃなかった。
ただの本音だ。
「足が痛いから、もう歩きたくない」
思ったことを、思うままに言っただけ。
「一歩も進むつもりないからね」
なんて主張していないのに、即座に反応して、
わがまま言うんじゃない、と拒絶してきた。
そんなヒステリックな声や、
諦めたらネチネチと責め続ける声こそ、
悪魔だったんじゃない?
嫌なことも、やらなければならない。
それが、当たり前になっていて、
やらないと自分を責める仕組みができている。
現実は嫌なことで溢れていたりするので、
生きるためには都合もいいのだろうけれど、
それでも、
無条件に嫌なことを選ぶのはやめたい。
選ばなくていい嫌なことまで、
選ばずにはいられない。
そんな回路が出来上がっている。
多分、ほんとうに些細な思い込みなのだと思う。
無理して頑張ったら、褒められたとか。
無理することがいいことになって、
やりたくないという本音を言えば、
甘えてるだの、わがままだの怒られた。
そんな程度のことで、
アホみたいに自虐的な回路を作ってしまった。
もう大人なんだから、
自由に組み替えていいのに、
古くて、有害なプログラムを採用していた。
面倒臭かったのかな?
粘着質な性格もあるだろうな。
なんて、理由を探しても、
覚えてないから癒せないんだよね。もう。
なので、過去は前世だと思って、
今は、未来を選択してゆく。
クーラーをつけるか、つけないか。
そんな小さな選択だって、未来に関わっている。
そのくらい、選択する今を意識する。
大事なのは、
無理して頑張ることでも、
諦める自分を赦すことでもなくて、
現実は選択を迫るものだと気づくこと。
現実には、望むもの、望まないもの、
両方あって、予想はついても、確定ではない。
期待は裏切られ、
諦めていたことが叶ったりする。
それは、過去の選択がもたらしたもので、
今の努力で変わるものではない。
変えられるのは、少し先の未来。
現実と思っているのは、予測した近未来。
未来を選択するために、現実がある。
そのくらいの認識の方がいいかもしれない。
現実に右往左往していると、
未来を選べなくなるから。
選んでいる自覚がないまま、
望まない未来が現実として立ち現れるから。
本音の言いなりになる必要はないけれど、
本音を批判すると、やりたくもないことを
頑張らなきゃならなくなる。
本音と悪魔の囁きを聞き分けて、
パターンではなく、
今、ベターな方を選ぶ。
いつかの自分ではなく、
今の自分で、未来を選ぶ。
そうしたら、
少しは自分を好きになれそうかな?
今より自分を好きになれたら、
恐怖や不安の中に、興奮や喜びを
見出せるようになると思う。
やったことのないことをやれる。
怖くて、不安だからこそ、興奮する。
未知を体験できることが、喜びに変わる。
好きになった先にいる自分は、
初めてのことに怯えながらも、
歓喜に震えているのかもしれない。
成長とか、進化とか、
そんな綺麗で前向きなものじゃなくていい。
今は怖くてできないことを、させてあげたいな。
早く自分を好きになれるといいな。
fumori
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