ネガティブな概念は、真実ではないし、幸せは、地球のニーズかもしれない。
今ある世界は、全てがある世界。
なら、なくそうと努力するほど、
対極にある勢力も増すのかな?
戦争。疫病。貧困。犯罪。
望まなくても、存在している。
嫌でも、悲しくても、許せなくても、
今あるものはある。
なくそうと思わずに、
ない世界を願うためには、
どうしたらいいのだろう?
あるものをジャッジせず、できることをする?
できるものなら、ね。
戦争や貧困は、当人のせいではない。
因果応報は当てはまらない。
そんな現実の理不尽を、悲しみを、怒りを、
ジャッジせずにいられるだろうか?
とても難しい。
ただ、私が恵まれた環境で暮らしているから、
そう思うのかもしれない。
今の暮らしがなければ、今の私ほどその現状を理不尽とは感じないのかもしれない。
当たり前の暮らしが豊かであること。
それに気づけることは謙虚さだけれど、
それを恵まれていると思っているのなら、
比較しているってこと。つまりは、エゴ?
心を痛めるフリをして、
優越感に浸りたい、とか?
うわ。最低だな。
私のエゴは、病みすぎだ。
優越感を満たすことを目的とせず、
できることをする。
理想はそれなのだろう。
ただ、大切なのは、概念より、現実。
エゴを満たすためであっても、今ある命を養えるのなら、それに勝るものはないとも思う。
理不尽も、悲しみも、怒りも、
ネガティブな概念であり、現実ではない。
感情は身体に及ぶので、リアル。
けれど、
ネガティブな概念は、真実ではない。
本当に、幻なんだな。
ポジティブな概念も、錯覚なのか。
身体が不快だと感じれば、
それをもたらす感情はネガティブ。
心地よければ、ポジティブ。
そんな程度のことなのかな?
エゴに操られさえしなければ。
今ある全てが気に入らなくても、許せなくても、
あるものはあるし、全て淘汰されてゆくだろう。
命は今以外には留まることはできない。
そして、私たちは、これまでにない価値観を創り出さずにはいられない。
たぶん、現実が変わるのは、
時代の価値観が変わるから。
私たち一人ひとりが、時代そのものなんだろう。
何もしていないと思っても、
私たちは地球のパーツであり、
命は時代を築いている。
個々の価値観が時代になる。
それが、命の役割?
だとしたら、
私たちが現状に不満を感じやすいのは、
今とは違う未来を無理にでも
創らなきゃならないからかも。
行動の動機は、好奇心でも不満でもいいのか。
地球目線で言えば。
不満スタートは、満たされないから、
私個人としては避けたいのだけれど…
地球のニーズが時代なら、
過去を悔いたり、恨みつらみで生きていると
不幸になるのは、当然なのかもしれない。
なら、全てがある今を当たり前に享受して、
こうなったらいい未来を思い描いて、
これまでにない価値観を生きる。
そんな生き方をしていれば、
不幸を感じることはないのかもしれない。
幸せは、地球のニーズなのかもしれない。
fumori
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