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理不尽な現実は、自分に対する容赦のなさの対価交換なのかもしれない。

今、現実で感じていることは、
過去の私が、感じていた感情。

なら、今、感じている感情を
未来の私は感じる、ということ。

もしも、それが引き寄せの法則で、
願いさえすれば叶うというのなら、
未来の自分に、なにを望むだろう?

ダイエットかな?

ダイエットの引き寄せについては、
いまだ成功の法則には至っていないが、
何度か考えたことはある。

なりたい自分をイメージして、
なったつもりになるというやつね。

それでは、ダメだった。
なりたい自分は、足りない自分。
天邪鬼な私は、逆に作用してしまう。

「食べちゃダメ」と思えば、食べちゃダメと思うために、食べまくる現実がやって来る。

「やせたい」と、願ったら、やせなきゃならない現実になる。つまり、太る。

なら、「太りたい」にすればいいのかな?
とてもじゃないけど、願えない。

さて、どうする?
未来の私に聞いてみよう。

さあ。未来の私は、こんな感じだ。

スタイルが良くて、幸せそうに笑っている。
なにを着ても様になってるから、楽しそう。
身軽なので、すぐにサクッとやっちゃう。
先延ばししないから、気持ちがスッキリ。
食べたいものを食べられるから、満足そう。
自分に自信がありそう。

幸せそうで、楽しそうで、
気持ちがスッキリしてて、
満足そうで、自信ありそう。

そんな感情を全て感じ続けることができれば、
痩せられる。
ということになるのだけれど…
ハードル高くない?

痩せるだけで、
めちゃくちゃポジティブなんですけど?
痩せてたって、嫌なことはあるし、
気持ちが落ち込む日もあるよ?

痩せているってことに、夢を盛り過ぎじゃない?

もしや、ハードルを高くし過ぎているから、
痩せないんじゃなかろうか?
もはや、そんな気しかしない。
感情のいいとこ取りなんて、無理だもの。
できる気がしないよ。

さて、落ち着いて考えてみよう。

スタイルのいい未来の私は、
どの感情が一番強いのだろう?

自信は、あるだろうな。

ダイエットに成功したこと。
オシャレも様になってるし、
お腹や二の腕を隠さずに、堂々と歩ける。

人目を気にすることは、
今より格段に少なくなるだろうな。
フットワークも軽くなる。
罪悪感なく、食べたいものを食べられる。
これは、羨ましい。

今も食べたいものは食べるけど、
太るかも、って恐怖は、付いて回る。
食事が楽しみでなくなってる。

コレかな?
太るかもしれないという恐怖。
食べることに対する罪悪感。

ここをなんとかしたい。
食事を楽めるようになりたいな。

罪悪感や恐怖を感じることなく、
食事をするには、どうしたらいいんだろう?

これを食べたら、
綺麗になる。元気になる。
ご飯を食べられることに、感謝する。
お腹が満たされたら、幸せを感じる。

うん。そうだった。
ご飯は元気になるために食べるものだった。
忘れてた。
痩せるため、健康になるための餌だったから。
スイーツは、やめられない毒みたいな認識。

私は、元気になりたいんじゃないかな。
痩せて綺麗になるよりも。
うん。そっちの願いを優先してみよう。

なので、
これを食べたら、元気になる。
食べられることに感謝する。
食べ終わったら、幸せを感じる。

食事制限のダイエットは、
食べることへの罪悪感や恐怖がなくなり、
食べることを楽しめるようになってから。

あとは、マインド。
自分に対する引け目をなんとかしよう。

自信がある未来を思い描くのは、
今の自分に自信がないから。

それは、今のスタイルに自信がないから、
引け目を感じるているってこと?

渡辺直美みたいに、スタイルを活かして
キュートでいることはできる。

なら、私の中にある太っている自覚と気後れ感は、別モノだ。

引け目を感じてしまうのは、たぶん、
人目を気にすることがデフォルトだから。
私が見た目で人を判断しているということ。

どんな基準かというと…
言いたくないな。エゲツない自分が出てきた。
先に謝っておこう。上からでごめんなさい。

相手より痩せていたら、ちょっといい気分
という姑息な優越感を得られる相手かどうか。

そんなジャッジをする理由は、ただ一つ。
自尊心が底辺だから。

だから、
スタイル良くて憧れる程度では済まなくなる。
痩せていることで得られるメリットに、強烈な執着を抱いているのかも。

スタイルいいね。オシャレだね。
褒められたいのだよ。

そんなメリットを享受できるポジションを理想としているから、承認欲求を満たせない自分を見下すはめになっている。

なら、理想のポジションなんか、捨ててしまえ。
実害のある理想なんかいらない。
思い込みで勝手に私を見下すな。

今の自分に満足できないから、
見下す理由が欲しいんじゃないの?

見下したいから、
太ったままなんじゃないの?

なんだか、本当にそんな気がしてきたぞ。

私が太っているのは、
自分を見下したいからだ。

太っているから、
見下しているのではない。

満たされない理由を
太っているせいにしたいから、
痩せられないのだ。

と言うことは、
今の自分に満足できたら、痩せるのかな?

オシャレしたり、勉強したり、
今できる小さなことから… 

って、違う。
そもそも、承認欲求だもの。
満足なんかしないよね?

今の自分に満足できないからって、
なんとかしようとすればするほど、
心は乾いてゆくのだよ。

十分、経験したはずなのに、
また、間違えるところだった。
そっちじゃないんだった。ふう。

痩せたい理由は、
綺麗になって、ちやほやされたい。

痩せたい本当の理由は、
満たされない気持ちが拗れているから。
今の自分に満足していないから。

満足できる別の誰かになりたいから。

満足できないのは、
感情と価値観が相反しているから。

承認されたかったのに、
そんな欲望は、はしたないと思っている。

褒められて嬉しくなっても、
謙虚なフリをしなければならない。

自己否定と結びついたら、
認められるほど、拒絶してみたり。

必要とされても、愛されても、受け入れられない。

そんな受け入れられない私のために、必要とされない、愛されない現実がやって来るのだとしたら、それはホラーだ。

引き寄せがあるかどうかは別にして、自分の潜在意識を知るための手法にはなるかもしれない。

理不尽な現実は、自分に対する容赦のなさ。
対価交換か。

私が悪かったんだ。
存在否定してたんだから、しょうがないじゃん。
って言い訳したくなるけど、私が間違ってた。

どうしたら、私を愛せるんだろう。
望む通りに、褒めて、認められるのだろう。
必要としていることを伝えられるのだろう。

って、程遠いな。ダイエット…

ダイエットを引き寄せる方法を考えていたら、その前に片付けなければならないことが引き寄せられてしまった。

先ずは、食べることを楽しむ。
今後は、理不尽を強いない。

そっか。同じことだ。
食べることを楽しみたいのに、
健康のために我慢させてきた。
めちゃくちゃ理不尽じゃないか。

あとは、自分に引け目を感じることは、脳の勘違いなので、堂々と、ハツラツと、元気にね。
ほら、繋がった。

私は、元気になるために、食事食べたいんだ。
そして、
食べることを楽しみ、感謝し、幸せを感じる。

食事は、生きるための糧であって、
楽しむことも、幸せも、理由としては2番目。

痩せることや、健康は、オプション。
それが、目的になっていた。間違えてた。

病気じゃないし、なにごとも面倒くさいのはいつものこと。だから、元気だと思っていた。
けれど、今の私は元気じゃないのかもしれない。

ためらうことなく、ご飯を食べよう。
生きるために。元気になるために。

太ってしまうかもしれないけれど、
ひとまず、元気になろう。最優先で。

今の自分に満足できるかできないかは、
元気になったら考えよう。

元気があれば、なんでもできる。

ダイエットの引き寄せを考えていたら、
猪木の偉大さに気づいてしまった。

 fumori 






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