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未来を予測する機能は、命を守るためのものなので、夢を描くことはできない。

死んで置いてかなきゃならないものは、
自分ではない

そんなようなことを養老孟司が語っていたと思うのだけれど、それが私の表現する地球かもしれない。

体と体から生み出されるもの。
感覚。思考。感情。など。

人間は、地球にとって異質なのかな?
と、考えてたりもするけれど、
今、地球に存在するなら、地球だ。

私たちも、草木や岩石や海水や空気と全く同列の自然そのものということになる。なら、私の考えることは、地球が考えていることかもしれない。
私個人には心当たりがない願望も。

生きることは面倒だ。
事あるごとに、そう感じてはいるけれど、進んで死にたいなんて思っていない。
なのに、ふとそのフレーズが浮かんでくる。

潜在意識に刻印されているのかと思ったけれど、深掘りしても気配さえない。
それどころか、
命そのものは、今を生きる一択だ。
驚いたことに、私の命は、顕在意識に反して、
相当にポジティブだった。

なら、体が死にたいのかな?
いや、体こそ命だ。地球のそもの。
地球が死にたいってこと?

地球に意志があるってこと?
ちょっとスケールが大きすぎて圏外ですが、リアルな地球ではなく、心の中の地球ならわからなくもないかも。

心の奥底の生と死の境界。
死と繋がる場所に湧き出る命の源泉。
その上に、それがある。
虹色に輝いて、目を奪われるほどに美しい。

それがなんなのかわからないのだけれど、
魂、心、地球。そんなイメージ。
無条件に大切だと感じているもの。たぶん。

勝手に宝珠と呼んでいるのだが、それが声の主人だとしたら、地球なのかもしれないけれど…

消滅したい魂でもあるのかな?

私の中にある魂が、一つとは限らない。
ラストでないなら、好きにしたらいい。
魂にとっては、この世より快適だろうし。

なんて他人事みたいに思いながら、宝珠を眺めていると、輝きを遮る黒いシミみたいなものが見えてきた。

生まれた時は、ピカピカで傷一つなかっただろうに、よく見たら随分と汚れている。拭っても取れないくらいに、染み付いてしまった。

私が生きることで、魂を汚してしまったのだな。

申し訳なさ。罪悪感。無念。
それとともに、歓喜していた。

これが、私が生きてきた証。人生だ。

信仰心はないので最後の審判にかけられる事はないと思うのだけれど、万が一、天使の迎えが来たり、閻魔様の御前にしょっぴかれたりしたら、魂を汚したことを咎められるのかもしれない。

美しさを損なったことに対して、罰を受けるのかもしれない。だったら、あなた達の基準で、好きに裁けばいい。

けれど、この汚れや傷は、私の人生。
あなた方にとっては、不要なものかもしれないし、どれだけ辛くても、心を晴れやかに生きる事が、いい人生なのかもしれない。

私だって、そうやって生きたかった。

そうあろうとして、道を踏み外し、闇に堕ち、自分を見失ったのは、よりよくあろうとしたから。
欲もあったし、前提からして間違っていた。ここまで汚れきる前に、引き返すことだってできた。

私が間違えた。
開き直って、誇るつもりはない。
いい人生だったと綺麗事で済ましたりしない。

ただ、これは、戦場でたった一人で自分を皆殺しにした際の血しぶき。人生の殆どを使って殲滅するつもりはなかった。
自分なのか、自分と思い込んでいる価値観なのか、見分けがつかなかったからそうなってしまっただけ。一旦、更地に戻してみないことには、どうにもならなかったということなのだろう。

何もなくなって、見通しが良くなって、孤独になって、やっと、いいも悪いもないことに気づいた。

私が目指してきたいい人生は、
私の人生ではなかったし、
そもそも、人生は記憶に過ぎなかった。
命が刻んだ今を時系列のアルバムにしたもの。

人生と、生きる事は別物。

いい人生を欲しがっていたけれど、
本当に願っていたのは、生きている充実感。
不足感があったから、埋めたかった。

命が望んでいるのは、
いい人生ではなく、生きること。
現実も対話し、感情を味わうこと。
条件ではなく、気分。

夢を思い描く機能は、命を喜ばせるためにある。
未来を予測する機能は、命を守るため。

命を守る機能は最優先なので、初期設定されている。不安や恐怖やネガティブな予測は、設定を変えない限り、続いてゆく。

感情を感じるために、解釈を選ぶこと。
それは、今しかできないこと。
それが、生きること。

宝珠を傷つけることがいい人生とは限らない。
いいとする人にとっては、よくなるだけ。

私は、宝珠をどうしたいのだろう?

守りたいのか?
喜ばせたいのか?

 fumori 

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