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満たされた寂しさに安心する。

私は、凡庸な人間だ。
人より秀でた所なんてない。

人並み以下なところもあれば、
人並みにこなせることもある。

死ぬまでに何も為さないだろうし、
今更、何者かになろうとも思わない。

そんなありふれた自分を責めていたのは、
心のどこかで自分は特別だと思っていたから。

人生を振り返っても、
そんな風に思い上がれる要素は皆無なのに、
人とは違うという意識だけは過剰にあった。

社会と馴染めないと思えば思うほど、
人とは違う自分感は高まった。

わたしの特別感は、優越感ではなく劣等感だ。

周囲に馴染めない寂しさを、埋めるための欺瞞。

独りでも平気だなんて、嘘だったのかな。
人間は孤独で当然とか?
寂しさしかないくせに。

私の心は、寂しさで満たされている。

だったら、もっと人に優しくなれそうなものなのに、
ジャッジして、自分より上を見ては落ち込み、
下を探して安心している。

そんな自分に辟易している。

優しくなれないのは、
寂しさを認められないからかもしれない。

愛されること、認められることで、
別の感情に置き換えたいとか思っている。

寂しいから、特別な自分になることで、
ささやかなプライドを守っている。

そんなどうでもいいプライドのせいで、
現実がややこしいことになっている。

社会との摩擦によって、
更に現実が悪い方は転がってゆく。

救われない世界で生きている。


等身大の現実へようこそ。
ようやくここまで降りてきた。

理想の世界から、堕ち続けて、
やっと寂しさに辿り着いた。

嫌いな自分よりも更に奥にあったのは、
寂しさだった。

愛されたいと願い続けているっぽい。
愛なら、いつだって今に満ちているのに。

寂しさを払拭するのではなく、
今あるものの一部だとは思えないかな?

今にある全てが愛なら、
幼い頃から溜め込んだ満タンの寂しさも
たぶん、愛なのだよ。

どうにかしようとするのではなく、
寂しいままでいる。

ありのままでいられないのは、
寂しさを恐れているから?
寂しいと不安だから、かな。

寂しくて、不安で、
それを解消するために考え出した答えが、
特別な自分だったのかもしれない。

特別でなければ、立ち向かえないほど、
現実は恐ろしいものだったのかしら?

自覚はないし、遠い昔のことすぎて、
なにが本当だったのかわからないけれど。


寂しいさと不安が結びついている。
それが、答えな気がする。

今には全てがある。
愛は、寂しささえ含んでいる。

なので、寂しいから不安になるというのは、
なにかが違っているはず。

不安になっているのは、誰だろう?

今の私というより、かつての私。
愛されることが当然だった頃の私。
愛されない自分を認められない私。

必要だったのは、寂しさに安心すること。

寂しくても、愛されていないと感じても、
ネガティブな感情に煽られても、
恐れたり、不安にならなくてもいい。

それは人の本質であり、愛だから。

生み出されたネガティブな感情は、
もうそのまま認めることしかできない。

作り替えようとしない。
都合よく育つこどもではない。

感情的であることは、人である証。

感情的になることを恐れていたけれど、
感情のままに行動することの違いさえ弁えていれば、
感情的に生きた方がいいのかもしれない。

理性でセーブできなくなるのは、
抑制がかかっているから。
反発し、波が大きくなる。

感情を解放する。
心を感情で満たしておく。

どんな感情も生まれるままにさせておく。
本音をいつわらない。
愚痴でも、悪口でも、道徳から逸脱していても、
正義とは程遠くても、軽蔑するほどのドス黒さも、
ジャッジしない。

全部、私の命から生み出されたもの。
人間の本質であり、愛だから。たぶん。

感情の全てを肯定してみる。
押し込めてきた最低な自分を見せつけられるのは、怖い。

けれど、その自分こそが、特別でない私を赦す者だ。

彼女を手に入れることによって、
理屈に合わない現実を赦すことができるようになるだろう。

精神が現実に反映されるなら、
整合性のない自分を否定しないことで、
受け入れられない現実も拒絶しなくなるはずだから。

ありのままの自分で、
ありのままの現実を、
そういうものとしておく。

感情的にならないよう、感情を抑制していたけれど、
ある程度、読ませた方がスムーズにいくのかな?

発言に感情を合わせようとしたから矛盾だらけになったけど、
感情は感情のまま、言葉は社会的に相応しいものでいいのかも。

というか、それが、本音と建前なのか。

なるほどね。
建前があれば、本音は守られる。
本音を偽らないでいられるなら、
理不尽なことでも、苦痛は格段に減るだろう。

本音を隠すから、距離側が掴めなくなるんだわ。
ムカついたとか、悲しいとか、
時々感じる想いを発してみる。
言葉ではなく空気で。

心が感情で満たされていれば、
私にも感じられるようになるかもしれない。
読めない空気とやらを。

読むというから、思考で言語化するもの
だと思っていたけれど、もしかしたら、
感じるものなのかもしれない。

今日は、
心を寂しさで満たしたまま、
空気とやらを感じてみよう。

 fumori 

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