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私たちそのものが、愛なのかもしれない。

自分はこういう人間だ
と、思っている自分になるらしい。

嘘。なに、これ。すごい。
だったら、人生楽勝じゃないの。

自己規定という概念を知り、
心躍らせているところに、
脳内から横やりが入った。

異議あり。
浮かれてますけど、人生振り返ってみなよ。
なりたい自分を思い描いたものの、
努力が嫌で、演じることでなりきった挙句、
闇に落ちたんじゃなかったっけ?

おっしゃる通りだよ。
自己規定は、努力が前提。
無意識に努力するようになる場合もある
ようだけれど、私の場合は…ない。

楽して生きたいが信条なもので。

そんなふざけた信念を抱いているから、
人生に苦労しているわけだが、
さて、どうする?

自己規定は、未来を限定する。
なので、実現しやすくはなりそう。

選択肢が一つしかなければ、
悩みや言い訳はなくなるし、
その事だけ努力すればいいなら、
信念に抗うことなく、
楽になりたい自分になれてしまう。

そんな魔法があるのなら、使ってみたい。
なりたい自分で生きていきたい。

が、理想の自分を演じるという失敗を繰り返さないためには、どうしたらいい?

失敗の原因は、
自分に対する期待値が高すぎたから。
つまるところ、自己評価が低かった。
自己肯定感に至っては、低いどころか、
存在すら否定していた。無意識に。

今のところ、存在は肯定できている、はず。
あらゆる命は存在を許され、今を生きている。
そう思うことにしている。

なにかを為さなければ、役に立たなければ、
なんて条件はなしだ。

自己肯定感と自己評価は、まだまだ低い。
目標を持って、やり遂げたり、
なにかを得たとか、あんまりないしね。

順番としては、自己規定の前に、
自己肯定感と評価を上げる方が先。

演じることをなく、楽に努力できるようになるためには、先ずは、ベースを築くべし。

そして、その基礎の底辺にあるのが、
人としての本質になるのだと思う。
そこさえわかっていれば、
あとのことはどうでもいいレベル。
人生の要だと踏んでいる。今のところは。

身体由来の外見、感覚。与えられた情報。
それらが解釈や判断や思想を生み、個性となる。
なら、それらを剥ぎ取った人のど真ん中にあるもの。
それが、私の思う本質であり、誰もに共通する性質でもある。

人の役に立つ喜び。
役に立たなかった時の不甲斐なさ。

こういった快不快は、
生誕後にインプットされた情報を凌ぐ。
生存に関わる本能に由来し、
時代に培われてきた古い歴史を持つ。

個性的な私たちが認め合えるとしたら、そこ。
共通する本質と、命を敬い合うこと。

それができないのは、きっと淋しいから。
孤独が強ければ、個性は差異になる。
自分とは違うことが許せなくなる。
同じでありたい。安心したい。 

それも、多分、本質。

だから、
本質を脅かす存在は、拒絶されるのか。

他者の本質を安心させることが、
人間関係のコツなのかな。なるほど。

なら、他者の本質は、自分なので、
先ずは自分の本質を安心させてあげよう。

本質に背いたり、脅かすと、
ネガティブな感情に追い回されることになる。
断罪が始まり、罪悪感を抱かされる。

本質には、従うのみ。

欲や本能はコントロールできても、
本質は、命が尽きるまで抵抗する。
侵略を赦さない。君臨する側。
従わなくてはならないのは、こちら側。

本質に従い、素直に生きてゆく。
従えなくても、自分を偽らない。
意識的に、従わないことを選ぶ。

君臨はできなくても、選択はできる。
それが、私の役割。

ただの私で生きてゆく。

それだけで、他者を承認する。
淋しさを味合わうことなく、
互いに安心を提供し合う関係。
存在するだけで、
誰かの役に立てるポジション?

そうなれたら、
何も為さなくても、
お金が入ってきそうだな。

欲しいものを提供できる人だもの。

承認欲求を満たしてくれて、
孤独を癒し、安心感を与えられる人を、
求めないでいられる?

チャーミングな人って、そういうことかも。
無理せず、どこまでもナチュラルでありながら、
無自覚に他者を承認しまくっている。
その人がいると、なぜか安心する。
魅了されるよ、それは。
一緒にいたいよ、そんな人と。

そんな世界にいたいな。
そんな世界で生きていたい。
そんな世界で死んでゆきたい。
愛が溢れた世界。

そこまで行けば、
自己肯定感も上りつめていることでしょう。
自己規定もしまくりだ。

なりたい自分になれるなら、
愛のある人になろう。

条件つきの自分ではなく、
本質そのものを生きよう。

自分を偽らず、本質に背かず、
ただの私でいること。

ただの私は、誰かと同じ本質で、
自分を偽ることを赦さない存在と同じ。

君臨する者と従者の同化。
対立のない完全なる均衡。
接点ではなく、全てになる。

ピースフルだな。

私には愛が何かよくわからないけれど、
対立のない均衡って、愛っぽい。
個性の向こうにある全体感。
みんな一緒。そんな状態。

きっと、ただの自分でいれば、
そこに愛はある。

そのまんま誰かといて、
居心地が良ければ、
そこは愛に溢れている。

私たちそのものが、
愛なのかもしれない。

 fumori 



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