見出し画像

私たちは、個性という皮を被った愛である。

仲間意識というものがわからなかった。

サイコパス感満載の発言だけれども、
サイコパスになれるほど賢くなかったので、
幸か不幸か未だ人間社会に留まっている。

サイコパスなら人の心が手に取るように分かるはず…?
なら、むしろ真逆な愚か者。

空気が読めないからと、心の機微を理屈で
理解しようとするなんて、本当に愚かだった。

勘違いと思い込みの連鎖によって、
残念がループし続ける人生を送っている。

いい加減、何処かで気づきそうなものだけれど…
ダメだった。
賢さへの憧れが強過ぎた。
愚かさへの劣等感かな。

いつまでも自分が好きで、
自分にしか興味がなくて、
自分しか頼るものがない。

自由の代償は、孤独と淋しさ。
デメリットは、求めるものとセット。
けれど、やって来るまで、気づかない。

求めても望まない側面を受け入れなければならないのなら、
願望こそ不幸の種じゃないか。

リスクを負ってまで
手にしたい未来ってなんだろう?

望み通りでなくても、
リスクのない未来の方がいいのでは?

これまでは、望みを叶えるために生きてきた。
叶えられない自分に絶望しつつ、
自分を諦められなくて、右往左往していた。

けれど、もういいや。

努力するだけの価値が
私の人生にはあるのだろうか?

ないのなら、諦めてしまいたい。
自分を高めるより、楽になりたい。

望む未来を思い描いている自我ごと、
未来そのものを手放してしまいたい。

ないものを補うのではなく、
不足しているという認識を生み出している今に気づく。

全てが存在する今にいたい。


愚かで、人間の機微がわからない私は、
友達と仲間と知人の違いがわからなかった。

友達は、ウマが合う。好きな人。
知人は、知り合い。そのまんま。

友達と無害な知人は、安心できる人々。
見知らぬ人も、スタートはそこから。

初対面から害を為す人は、さほどいないし、
そもそも自己評価が低い私が、
人を嫌いになれるはずもなく、
逆に苦手と思うことに罪悪感を抱いていたし、
どうしたら好きになれるのか悩んでいた。

そんな理想が破綻して、
人を嫌いにならざるを得なくなった。
人を嫌ってもいい。
そう思ったら、仲間ができた。

仲間が増えたのではなく、
知人が仲間に成り代わった。
職場の人々は、知人ではなく、仲間だった。

仲間とは、嫌いでも同じ目標に向かって協力する人々。

考え方や価値観が違っても、
意見が食い違っても、
目標を達成しようとする限りは、仲間だ。

好きならやりやすいけれど、
嫌いなら嫌いなままでもいい相手。

目標は、私個人のためのものではなく、
社会のためにあるのだから、
仲間だからって好きになる必要はない。

この発見は、私を楽にしてくれた。


人を嫌ってはいけない。
そんな呪いのせいで、本音を押し殺して、
苦手な人でも好きになろうとしてきた。

たぶん、味方が欲しかったのだと思う。
出会う人を、敵と味方に振り分けていた。

味方とは、私と同じ方向にある人。
敵は、私を否定する人。

結局のところ、敵味方とは、
私が、私以外か。
自分の価値観か、それ以外か。

自分のわかる範囲の人に囲まれて、
安心していたかったんだよね。
イエスマンに侍っていて欲しかった。

自我が脅かされる相手を恐れていた。
それが、苦手に置き換わった。

嫌いとは、自分以外を、
理解不可能な価値観を拒むこと。

拒みたくないから、相手を理解しよう、
価値観を知ろうとしてきた。

けれど、理解できない価値観は
気持ち悪いし、間違いなく不快なのだ。

自分の解釈が一方的なせいだとしても、
自分の嫌いなところの投影だとしても、
嫌なものは嫌なのだ。

本音を偽らないことで、
ちっさい自分でいることで、
敵味方という対の価値観から解放された。

好きな人。嫌いな人。
好きにならなくていい人。

私にとっての仲間とは、
人間性よりも、目的を優先的に考える相手。
目的のために協力し合う人のこと。

自我を凌ぐ存在。

ワンピースみたいな熱い仲間には憧れるけれど、
役に立つ特技、ないしな。

仲間は、ギブアンドテイクな関係なのかな?

役に立たなくても、許容し合うことができたら、
人間関係も怖くないのにな。

それは、私が役に立つかどうかで、
相手や自分の価値を測っているということ?

役に立たない自分を赦せたら、
人が怖いとは思わなくなるのかな?

有用かそうでないかで、自分の価値を決めない。
使えなくても、価値はある。

自分や人の価値を、
私が決められると思ってるのは、なぜだろう?

評価と価値は別モノ。

評価はされるもの。してもいい。
ただ、価値はプライスレスだ。

個性と本質は違う。
自我と本音も違う。

同一視するから、間違える。
間違えるようにできている。

だから、今に戻る。
全てがあることを思い出す。
役に立たなくても、価値はある。

個人という概念は思い込み。
あるのは個性。

個性の内側にあるものは、人間の本質。
誰もが同じ本質を抱えている。

個性が次第で、憧れのあの人にも、
毛嫌いするあの人にもなれる可能性はあった。

私たちの本質に差異はない。
あるのは、個性の違い。それだけ。

本音を偽って、人を好きになろうとしなくていい。
心を自由にする。

ないものを求めて幸せになろうとするのは、自我の性質。

求めるのではなく、手放す。
理想を、自我を。

なにもない場所にしか、安心はない。
自我がない場所。
全てがある今。

いつでもそこに帰れますように。

 fumori 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?