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夢を叶えることは、簡単かもしれないと思ったこと。

たった今、その方法を思いついてしまったのだけれど、そんな訳ないじゃない、という思考に瞬く間にかき消されそうな予感が満載なもので、書き留めさせて下さい。

ずっと変わりたいと願い続けている。
変われたこともあれば、失敗したり、諦めたこともある。そもそもなりたい自分が変わってゆくのだから、一生変わり続けるのかもしれない。

今朝、願ったことは、
迎合しないこと。
決断できること。

なぜ、迎合してしまうのかといったら、相手がなにを考えているのかわからないから。
考えて、予測しても、外れてばかりでコミニュケーションが恐怖でしかなくなっているから。

なぜ、見当違いな返答ばかりしてしまうのか?
そもそも相手が求めている答えが、正解ではなく、感情だから。

人は感情の生き物とは言うけれど、話の内容よりも、感情を大切にしているなんて、思ってもみなかったんですよね。
会話とは、心を通わせるためのものだった。

それが、私にとっては、衝撃的な概念だったわけだけれど、制約のない感情が人としての本質で、そのものが愛なのではないかという仮説に立ってみると、そりゃそうなるわけです。

では、なぜ、私は心を通わせることが出来なかったかと言えば、自分の本音を偽ってきたからなのですよね。
感情を善悪に分けて、正しい感情だけを許し、悪い感情を罰し、理性でコントロールしてきたから。
そのジャッジと支配が苦痛すぎて、死んだフリをしていたわけです。

つまり、迎合=自己欺瞞。


次に、決断できない理由なのですが、今の私はこんな感じです。

優柔不断。ぐずぐずしてしまう。
悩む時間が長くなるほど、失敗したくないと思うようになる。プレッシャー?

自分でプレッシャーをかけないと、動けない?
そりゃ、やりたくなくなるさ。

怠惰。楽をしたい?
失敗すると怒られる?

そっか。
やることのメリットに目が向いていないからだ!

…というポジティブな結論に達したのだけれど、これが失敗のもとでした。たぶん。

思考ではなく、心や感情を最優先に再構築してみる。

優柔不断なのは、心残りがあるから。
損得では割り切れない想いがあるから。
そこに気づいてくれないなら、ふてくされる。
やる気をなくさせてみる。
思考は、焦る。これまで従順だった私が、思い通りにならなくなったから。
タイムリミットを持ち出して、プレッシャーをかけてくる。

ここまでは、さほど変わらない。
やることのメリットに目が向いていないというのも、間違いではない。
けれど、本質である感情の真意は別にある。

プレッシャーがかかったことで、慌てているのは思考であって、感情ではない。
むしろ、ほくそ笑んでいるのではないかしら?

理性にプレッシャーをかけさせたことで、この作戦の成功率が上がるから。

感情の願いは、本音に気づいてもらうこと。
そのためには、自己欺瞞の迷宮を抜けてもらわなければならない。

迎合してしまうことと、決断できないことの根本は同じ。自己欺瞞。

自分の偽りを見破ることができれば、素の感情を、つまりは愛を使えるようになる。
迎合しなくても心が通う会話ができるし、自分の心残りにも気づいてあげられる。

では、なぜ、自分を偽っていると、心が仮死状態になってしまうのか?

その感情を赦せない限り、望む未来に行けないから、ではないだろうか?

望んでいる未来があるけれど、道も光もないとする。だから、諦めるわけだけれど、本当は自分でその道を閉ざして、隠しているとしたら?

教えられた通りに生きていれば、安全だから。
自分らしくなくても、今ある幸せに目を向ければ、自分らしさなんてなくても生きられる。

けれど、世間の枠に合わないからと押し殺されてきたものがあるとしたら、それは、世間の枠を超えられる個性ということにならないだろうか?

望んでいる未来を閉ざしているのは、私かもしれない。

本音に、欺瞞に気づいて、隠している感情を赦すことができたら、暗闇の中に灯りがともるかもしれない。

なかったはずな扉が、そこにはあるのかもしれない。扉の向こうは、願った未来だとしたら?

気づけなかっな想いに出逢うことで、
未来への扉が開く。

なら、
望む未来って、ものすごく簡単に行けませんか?

あくまで、仮説だけれど…

決断できないのは、決断したら、夢が叶ってしまうから。簡単に、サクッと思い通りの人生になってしまうから。
私にとって人生の楽しみは、苦悩の後の幸福だと、記憶されてしまっているのかな?

いや、いらないよ。もう。そんな時間もないし。

もしも、悩んでいるとしたら、本音や自己欺瞞に気づく頃合いなのかもしれない。

そこに気づいたら、望んでいる未来が手に入るという告知みたいなもの。

なら、悩みや苦悩は、夢を叶える条件は揃ったという時に現れるサインなのかもしれない。

あくまでも仮説ですし、なんの確証もないけれど、そんな脈略のない思いつきのおかげで、朝から少しだけハッピーになれました。

妄想で現実が変わるとは言えないけれど、少なくとも気分は上がります。

 fumori 




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