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なりたい自分になるのではなく、心が動く現実を選んでみようと思う。

現実は、移り変わるもの。

それだけのものなのに、
一々、喜んだり、悲しんだり、
未来を夢みたり、過去を悔やんだり、
正しさや、好き嫌いで、右往左往している。

それが、私の人生。

ただ変化してゆくだけの現実。
それに対して、もの思う自我。

このままでいたいと願っても、叶わない。
別れたくなくても、ずっとはいられない。

望んでいない変化に晒され、
望むようには変化しないもの。
全く、現実はままならない。

そう断じているのが、自我。

変化する現実に、
固定した過去に、
期待する未来に、
思いつくまま断じ続けている。

そんな多忙な自我のおかげで、
私の現実は、騒がしい。

答えの出ない未来に惑い、
どうにもならないことを嘆き、
どうにかできるけれど面倒くさいことからは、
逃れようとそれらしい言い訳を探す。

休んでいる暇なんかない。
それは、なぜ?

休んでいたら、存在しなくてもいいと
バレてしまうから。

自分とはなにか?
それを、証明しようとすることで、
存在意義が生まれる。
つまり、証明し続けていないと、
存在意義はなくなってしまう。

自我が忙しないのは、そのせい。

求めているのは、必要とされること。
ここにいていいと思うこと。
認められたい。愛されたい。
満たされて、安心したい。

どれだけ自分を主張しても、
私という存在を証明できなかったから。

それが、他者や現実との摩擦を引き起こす。
承認されるどころか、疎まれる存在をになる。

生きることに、疲労する。
現実に腹を立て、失望する。
そんな人生だった。

さすがに、辛い。
もう少し、気楽に生きたい。

承認欲求の強さは、自我の不安。
いなくてもいい存在の不確かさ。
いる理由がないのに、存在してしまう心許なさ。

孤独だから、騒いでいたのかもしれない。
誰かに気づいて欲しくて、
認めて欲しくて、
ここにいていいと言って欲しかった。

こちらからは見えているのに、
誰の目にも映らないゴースト。

自我が疎まれるのは、承認欲求が強いから。
なら、承認してしまえばいいのではなかろうか?

自我を無くすことはできないし、
抑え込もうとすれば、どえらい反発を喰らう。

瑣末なことを騒ぎ立てる自我の声に巻き込まれないでいるためには、自我の不足を先に満たしてしまえばいい。

認められたいなら、承認を。
褒められたいなら、賞賛を。
嫌われたくないなら、愛を。

自我の存在を肯定できれば、
どうでもいいことでも
自分を主張したがらずに済むのでは?

そっか。

自我の主張が激しいのは、
自己嫌悪が強かったからだ。

存在を認められなかったのは、
生きることを望めなかったから。

命を否定していたから。

自我が反発していたのは、
現実ではなかったのかも。
命への態度だったのかもしれない。

今、命を否定してはいない。
私のものではない気がしているから。

思考と同様、体も命も自分のものだと抱えていたから、重かった。

自分ではどうにもならないものを、
なんとかしようとしていたから。

よく言えば、責任感。
実際のところは、執着。

やっと少しだけ、手放すことができた。

命は、私であって、私ではないもの。
私がどうにかできる範囲なんて、
ほんの僅かしかなかった。

現実の私なんて、そんなもの。
自由に遊びたいなら、
心の中で無限に遊べばいい。

現実は、心の反映。

精神が豊かになれば、
現実の自由度も高まるかもしれない。

だから、今は、やることだけやって、
あとは、心で遊んでいよう。

今ではない、今にはない世界は、
いつか必ず現実に反映されてゆく。

個別の立証はできないけれど、
生きてきた時代が、その証拠。

欲を満たそうと現実を頑張るのではなく、
心豊かに生きていよう。

心に贅沢をさせる。
心動く現実を選んでみる。

やらなければならないことは別として、
我慢して、努力して、心を犠牲にして、
得られる現実を求めに行かない。

優先順位は、命を養うこと。
食べて、寝る。そのために働く。

次は、感動。心が動く方向。

現実は変わらずにはいられないのだから、
無理やり自分から動く必要はないのかも。

変化に気づいて、選ぶだけでいい。
余計な摩擦を起こさず、流れに乗ってみる。

命は、才能。
自我はそれを活かす術を知るもの。
その才能を求めているのは、変化する時代。

できるか、できないかより、
やろうとしていることが、
時代に求められているか?

その根底に、
やりたいという閃きが眠っている。

やりたいから、努力してやる。
できないことをやろうとするから、辛かった。

そもそも、不足を満たすためなので、
私自身の能力を活かそうなんて考えてなかった。

なんの才能もないと思っていたから、
手に入れたかったわけだし。

けれど、才能ならある。
できること全てが、才能。
誰だって、才能の塊。

思いついたことは、やれること。
できないことなら、考えない。

できないことを考えていたのは、
不可能を望んでいたから。

やっぱり私には無理だった。
そう言いたかった。
可哀想なキャラでいたかった。
信じられないけれど、そういうこと。

今は、できることは才能だと思える。
どんな些細なことでも、全部が才能。

人より秀でた才能なんてものはないし、
代えがきく才能しかない。
そんな才能でも、
求められているから、生きている。
命として、生かされている。

それが、今の前提。

本能を満たし、命を養い、
心豊かに日々を過ごす。

何者にもなろうとしない。
誰かに、自分にだって、ならなくていい。

それだけで、心が広がる。
自由を感じられる。

あとは、心動かすものを、
勝手に変わってゆく現実から、
ピックアップするだけ。

自由で、楽ちんで、豊かな日々。

なんか道草してるみたい。
安全地帯から少し離れるけれど、
すぐに戻ることはできる。 

スリルではなく、
好奇心のための選択。遊び心。

さて、現実は変わるだろうか?

 fumori 

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