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自分を好きになれたら、私の問題は解決するんじゃないかな。

結論から言うと、そういうことなのだと思う。

報われる向上心と、
報われない努力の違いを考えてみた。

どちらも、
よりよい自分になることが目的で、
失敗すら喜ばしい成長なはずなのに、
報われない気持ちになるのは、なぜだろう?

起点がマイナススタートだから。

自己肯定感が低いと、
不足感を補うための努力になる。

ないものを求めるから、目標は高くなり、
失敗し、諦めることも多くなる。
がんばって、結果を出しても、
主観である不足感は埋まらない。

これが、報われない努力。

逆に、自己肯定感が高いということは、
現状を埋め合わせなくてよいということ。

今より少し成長するだけで、満足できる、
無理のない目標を選ぶことができる。
必死な努力でなくても、成長し続けられる。

これが、報われる向上心。

選んでいるのは自分なのだから、
そりゃ、報われたいですよ。

なのだけれど、
自己肯定感の低さを自覚しても、
自己肯定感が上がるわけではない。

これまでは、
肯定感を一気に爆上げしようとして、
失敗して、自己嫌悪を深めていた。

重要なのは、肯定感を上げることより、
これ以上、自己嫌悪を増やさないこと。

そのためには、できそうなことを毎日やる。

頑張ればできることではなく、
頑張らなくてもできることを選んで、
毎日やって、ちょっとづつ肯定感を上げる。

小学生でも知ってる王道を選ばなかったのは、
欲得に駆られて、近道を探していたから。
通学路から外れて、冒険した挙句に、自滅。
そんな人生だった。

そんな生き方を変えようと思って、
自己肯定感を上げようとしているのだけれど…

そもそも、なんで下がっているんだろう?
なんで、近道を探そうとしたんだろう?
なんで、今には全てがあると知ったのに、
こんなにも不安なのだろう?

私の場合、自己肯定感の低さの原因は、
自己嫌悪、不信感、存在否定。

そして、
3つの原因に共通する、現実否認。
これが、凶源のような気がしている。

①自己嫌悪

比較〜人よりない自分が嫌だ〜ないから欲しい〜
実力以上の目標〜自分以外になろうとする〜
無駄に頑張る〜なれないから演じる〜誇大妄想

原因 "比較"
否認 "自分以外になろうとする"

②不信感

過ちを犯した vs 過ちではなかった
(良心)vs(恐怖、損、悪人レッテル)

不信感〜嫌われる、攻撃される、付け込まれる〜
恐怖、損、悪人レッテル〜
過ちでなかったと思い込む〜自己保身〜罪悪感

原因"罪悪感"
否認"過ちではなかった"

③存在否定

定義がある〜定義外の自分を認められない〜
自分を定義内に正そうとする〜なくそうとする〜
隠そうとする〜不要な自分を拒絶する〜虚無感

原因"定義"
否認"定義外の自分"


お気づきだろうか?
望まない結果が、ループしていることに。

自己嫌悪は、更なる自己嫌悪に陥る。
不信感は罪悪感を生み、不信感を増す。
存在否定は、存在を消そうと働く。

スタート地点に戻されるだけならまだしも、
現状を変えようと努力するほど、
嫌悪感、不信感、否定感が強まってしまう。

闇に堕ちるというのは、負の極地。
よくなろうとして、面白いように堕ちてゆく。

そのループを作り出しているのが、
現実を否認すること。

否認は無意識だから、やめられない。
否認しなければならない前提がある。

現実を否認しなければ、
辻褄が合わない理屈がある。

理の無い理屈を通すから、
実際の現実を否認するしかなくなる、かな?

恵まれているのに、人生が辛いのは、
大凡、理屈が間違っているから。

なぜ、間違えてしまうのか?

理を知らないから。
理解できないから。

命は、全ての人間性を宿していること。
性格は、表現とジャッジ。
性質そのものを変えたり、
無くしたりはできないもの。

みんな、性格の悪さも良さも持っている。
違って見えるのは、表現が違うから。
表向きそうなだけで、中身はみんな同じ。

なのに、
性格は個人的なものと思うから、
自分の性格の悪さに怯えて、
誰もが持つ人の善良性みたいなものを
信じられなかった。

裏切られることは、こちら側の期待に過ぎず、
期待を裏切ることは、悪いことでは無いとは
思えなかった。

期待に押しつぶされていたのは、私だ。

自己嫌悪も、不信感も、存在否定も、
私ではい自分を求めた結果だ。

見誤ったことに気づかないまま、
現実である自分を拒絶してしまった。

リアルな自分を認められなかったのは、
認められる発想がなかったから。

人間性を拒む世界観しか、
思い描けなかったから。

なら、
リアルな自分を認められる理屈があればいい。
一旦、今の段階で、全肯定できるアイデア。

条件をクリアしているみたいな基準ではなく、
失敗してるダメな自分を肯定する。

ダメな自分は嫌だし、
それでいいとは思えないけれど、
どうしたら否定せずにすむ?

人間らしくて、お馬鹿で可愛いじゃない、とか?

お馬鹿とか、可愛いとかは、ジャッジだし、
見下し感に溢れているけれど、
否定するよりはいいのかな?

やっちまったことと、
人間性のダメさを、別に考える、かな。

現実への責任は取らなきゃならないけれど、
どんなことしたって、なにしたって、
間違えちゃうよね、人間だもの。

そんな大らかな人間愛があればいいのに。

結局、自分を好きになれたら、
それだけでいいのかもしれない。

どういう人生を歩みたいかは、
自分を好きな人が選べるものなんだな。

自分の人生に期待できるのは、
自分を肯定して、信頼しているからだろう。

先ずは、自分を肯定して、信頼してみないと
何をしたいかなんてわからない。

もしくは、自分を好きになったら、
人生に期待するものなんて、ないかも。

理屈の上では、どんな人生でも、
それなりに満足できるはずだから。

自分を好きになりたいな。
それを、目的にしてみよう。

自分以外になる努力はやめて、
自分を好きになる努力をしよう。

 fumori 

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