全ての感情をジャッジせずにいられる瞬間があるとしたら。
寂しいのは、孤独のせいだろうか?
死んでしまういつかの日を
知っているからかもしれない。
今に全てがあるのなら、
孤独と同時に、安心もある。
孤独だと感じられるなら、
独りではなくなるはずだから。
現実には独りでも、
独りではない認識はある。
あるなしではなく、
見つけられるかどうかの問題。
認識を探し出すことができれば、
現実には、干渉しなくなる。
なら、寂しあのは、死んでしまうことだろう。
自分がいなくなってしまうことも。
誰かがいなくなることも。
自分の死をリアルに感じられないから
呑気にそう思っている。傲慢だな。
だからこそ、恐怖に呑まれず、
死を思う勇気を出せるのだろう。
自分が自分でなくなってゆく感覚。
この体と離れ離れになる瞬間。
死は安らかなものと思っているので、
その瞬間、恐怖に支配されているとは思わない。
けれど、未練や執着はあるだろう。
なんだかんだ言っても、
私のことは気に入っているのだ。
それでも離れ離れにならなくてはならない。
悲しく、寂しい気分になる。
それだけ?
せっかく丈夫な体を与えてもらったのに、
全然、活かすことができなくて、
申し訳なく思ったり、
わがままを聞いてくれた体に感謝してみたり。
最期は、全部の気持ちで、
お別れするのだろう。
溢れ出すままの感情に包まれて。
白って、なにもない色ではなく、
全部の光を足した色のことで、
黒は全部の色を混ぜたもの。
地球である体がシャットダウンして、
意識が黒一色に閉ざされたら、
逆に光しかなくなるんじゃないかな?
天国へ導かれる天使の絵って、
光に溢れているじゃない?
あれって、太陽の光というより、
光が集合して白く輝いているのかも?
もしも、魂が存在するなら、
光なのかもしれない。
全ての光が集約した白色。
死んでみなきゃわからないけれど。
ただ、死の間際なら、
全ての感情をジャッジせず、
感じたままに出来るだろうし、
あらゆる感情を感じることで、光に還る、
みたいなイメージは、気持ちがいい妄想だ。
感情がそれぞれ色付いた光だとしたら、
重なり合って、白い輝きになって、
死は光、ということになる。
光に包まれたら、
地球は見えなくなってしまうのかな?
今、たましいオーラが見えないのなら、
地球は死の世界より、暗いはず。
別れるというより、消えてしまうのかな?
あるけれど、見えなくなってしまうのかも。
寂しいけれど、地球を手放すことで、
光に還る。安らげる。
そういうことにしておこう。
死後のイメージがないまま死んでしまったら、
直前には恐怖しか感じられないかもしれない。
もしくは、後悔とか。
死後は、いいイメージがいい。
今のいいけど、死後もいい。
死の間際にならない限り、全部の感情をフラットに受け入れることはできないのかもしれない。
なら、今、生きている間は、ジャッジしてしまうのも仕方がない。
だって、体を生かすことが最優先だから。
そのためのジャッジは捨てられない。
生きる目的は、命だ。
命を守る。命を養う。命を使う。
命の限りを尽くす。
全てがある今を生き続けられるのは、
今を刻む命があるから。
私の根底に必要だったのは、
命であることの自覚。
現実と同じくらい大切な、心の根底。
命は、ミコト。
本当に神さまなのかもしれない。
死を恐れることも、死後の不安も、
全ての感情は、いつだって今にある。
選べる感情が一つなだけで、
選んだ感情のボリュームが大きくなるだけで、
他にないように見えても、全部ある。
光が当たれば、スポットライト以外の場所は、暗い影しか見えなくなる。
感情は色で、今に全部ある。
死ぬまで、全部が同時に存在している。
呼び覚まされなくても、ある。
だとしたら、感情の源である命は、
光でできているのかもしれない。
なら、オーラも本当にあるのかな?
見たことないけど、見えたらいいな。
光の世界は、美しいだろうから。
fumori
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