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信じることは、未来の選択肢を創り出すこと。

例えば、心がかき乱されているとする。

①感情をジャッジしない。
②感じたまま、短冊に書いて、笹に吊るす。

大概は、そんな我流のイメージワークでやり過ごすことができるのだが、理由もなくどうにもならない時がある。それが、今朝だった。

布団の中で悶々としたがら、
落ち着く方法を編み出した。

③ネガティブな理由を探さない

感情に囚われてしまうと、無意識に理由を探して、無意味にグルグルするから。
理性を取り戻す。

④歯を食いしばっていないか?

意識しないと、奥歯を噛み締めているので。
体に意識を向ける。緊張を解く。

⑤全てがある場所へゆく

THE 愛です。
とは言え、全てがある状態とか、命そのもののビジョンなんて想像できないので、イメージとしては、暗闇に差し込む細い光の筋。
ダンジョンの中の、薄っすら輝いている聖域。回復ポイントの魔法陣。光柱に包まれ、フルになる。もう大丈夫。安心感。

⑥私は、自分を救うことができる

暗示というより、自己信頼を思い出す。

⑦命ある限り、全ては存在する。

足りないものを探していたことに気づく。

そんなルートで落ち着いた。
ネガティブな感情は、愛から遠のいているサインなのかもしれない。一旦、戻れという警告?

まとめ

①感情をジャッジしない
②感情を手放すイメージワーク
③ネガティブの理由を探さない
④体が緊張していないか?
⑤全てがあることを思い出す
⑥自分を信じる
⑦命には全てが付随する


全てがあることを忘れてしまうから、
不足を感じる。何かしなければと思う。
このままの自分ではダメだと焦る。

けれど、不足を解消したとしても、心が満たされるわけではない。不足はただの認識だから。

そんな主観と比較でしかない認識にも、メリットはある。
過去の成功例をなぞる限り、命の危険は少ないし、決断も早い。便利な機能でもあるのだ。

逆に、今に全てがあるなら、選ぶ必要さえなくなってしまう。死ぬことさえあるのだから、愛の中でぬくぬくしてたら、命が危うい。

だから、私たちは、
判断を優先するようにできている。たぶん。

主観や比較から逃れられないから、よりよい自分になろうと努力するし、時には成功もする。
それが、よい面。もちろん、悪い側面もある。

頑張ったのだから、成功したのは当然。
失敗したのは、努力不足の自己責任。

不足感を補おうとすると、
成功すれば傲慢になり
失敗すれば自己卑下する。

あくまでも私の場合だけれど、
成長する程、悪いところが出てきてしまった。

"ない"認識から、"ある"を得ようとすると、
なぜか、"ない"が生み出されてしまう。

ないから、得る、のではなく、
なくても、在る、ことに気づく。

ないという思いが、あるだけ?

今ある現実や心がどれだけ騒ついていても、
現実や心をそう捉えている認識があるだけ。

なんだけど、
心が騒ついていると、
騒ついた現実としか認識できない。

この世界は、一つの事象が生じたら、必ず対極にある価値観も存在するようになっているけれど、先に見つけた価値観に囚われると、別のサイドは閉ざされる。

なぜかはわからないけれど、
私の脳は、そういうシステムになっている。

なら、使い方を逆にすればいい。

足りないと感じることができるのは、
どこかに満ち足た自分もいるから。

足りないのは、今の自分に満足しているから。
満足しているから、新しいことをしてみたい。

足りないのは、私自身のなにかではなく、
新しいこと。好奇心が暇ってこと?

絶望だけしかない現実も、存在しない。
絶望の深さと同等の希望は存在する。必ず。

そんな精神論を易々とは信用できないから、
絶望しかなくなってしまうのだけれど…

救いを求めようと、命を委ねようと、
自分を救えるのは、自分だけで、
希望を見出せるのも、自分だけだ。

状況を打破したいなら、信じること。
なんとかなる。やれる。解決策はある。
助けは差し伸べられる。
希望は必ずもたらされるし、私なら見出せる。

信じられなければ、見出せない。
生存本能のトリックに、騙されてしまう。

あるかどうかより、あることを信じる。
その選択が、ある未来へ繋がる。

あ。そっか。
信じることは、未来なんだ。
今じゃないから、確証がないんだ。

結果がわからない未来を選択するんだから、
信じるしかないんだ。

そっか。信じることは、未来の選択肢を創り出すことなんだ。

悩んでいたのは、過去の統計からリコメンドされた安全策のどれも選びたくなかったから。

確証がないから悩んでいたと思っていたけれど、なくて当たり前なんだ。未来なんだもん。

確証がないから、創り出すこともできる。
未来は、選ぶものではなく、創り出すもの。
そういうこと。

これからを生きて行くためには、
根拠なく自分を信じ、選択肢を創り出すこと。

常識や他人の価値観から自由になっても、自分を信じられなければ、なにを選んだらいいのかわからない。主観と比較以外の基準はもう使えない。

欲しいのは、新しい基準。
とりあえず安全策を勧めてくる本能を凌ぐもの。最優先事項。

この世の絶対は、死のみ。
そのくらい揺るがない信念みたいなもの。
世の理?

全部あること。
二つの対局する価値観が同時に生じる世界。
一つに囚われると、もう一つは見えなくなる。
相殺し合っているから、あるけれど、ない。
ないけれど、全部ある世界。

無常であること。
今しか生きられないこと。
常に現実と対話し続けていること。
あると信じることで、求めることを見出せるようになること。

今のところ、そんな感じかな?
もちろん、揺るがないとか言っておきながら、ないことにするのもあり。
間違えることもある世界だから。

今だって、未来にとっては過去。
過去なら、ほぼ前世だ。

一生、信じられる信念なんて、求めない。
現実だけでなく、私自身も変わってゆく世界だから。留まりたくても許されない世界。
いつのまにか過去になっている世界。

なので、今、信じられることを信じる。
すると、それが存在し始める。

そんななんの根拠も保証もない
迷信めいたものを信じられるものだろうか?

正直、わからない。

ただ、望む未来は、信じなければ、存在しない。

想像しただけじゃダメな気がする。
思い描いて、そうなったらいいなと思えて、その未来を信じると決めること。

その未来へ繋がると信じること、かな?

信じている限り、どれだけ欲深い未来であっても、道は繋がる。

欲が深すぎると思えば、道は険しくなるだろうし、当たり前だと思えたら、なんの苦労もなくたどり着けるかもしれない。

引き寄せって、そういうことなのかな?


私にとって未来は、選ぶものだった。
自分なりに広く考えたつもりだったけれど、自分の価値観の範囲の、更にほぼ安全とされる未来に限定されていた。

価値観から解放され、なにも選べなくなってしまったのは、安全かどうかが選択の基準ではなくなったのに、確証のない未来を信じる勇気が持てなかったから。

私の勇気は、愛の中にしかなかった。
だから、愛されなかったという不足の価値観がある時は、見つけることができなかった。

愛と勇気と信じる覚悟。
それが、未来へ繋がる選択肢を創り出す。

未来は選ぶというより、創り出すもの。

信じる限り、手立てはある。
救いはある。希望はある。

信じているのは、未来というより自分の世界。
この世界のシステムそのもの。

愛のある世界ってことかな?
命そのものかな?

命はあっけないものだから。
なんの因果もなく死は訪れる。
理不尽に、納得できる理由もなく。

理由のないことに耐えられないから、考える。
死ななければならない理由。
生きながらえている理由。

けれど、私たちはただの命だ。
思考はオマケ。
生きて死んでゆくことが、本命。

命は今しか生きられないけれど、全てがある状態を与えられ、生かされる。

未来を思い描くのも、その選択を創り出せるのも、オマケなのかな?

命を養って、今を生きていることへの、ご褒美。

なら、命を養って、今を生きていれば、自動的にご褒美はやってくるのかもしれない。

自分の価値観では通用しない現実と出会って、思い込みを越える未来を創り出す。

…?

これって、みんな当たり前にやってること?

現実的に生きることが、未来を創ること

だとしたら、
妄想だけじゃ、引き寄せられないのかな?
残念。

 fumori 

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