自己実現なんかしなくていいと思ったら、救われた。
妙に潔癖なところはあるにせよ、根はグータラで、責任感が薄く、なにかとすぐに諦める。
「ねばならない」完璧主義には程遠い。
そう思っていたけれど、自覚しているより、その気質は濃いかもしれない。
完璧でいたいのは、自分に対する引け目。
グータラな自分は好ましくない。そんな決めつけから、ちゃんとやろうと努力するのだけれど、その目標が高すぎて途中で諦ることになり、責任感のなさに罪悪感を抱き、自己肯定感がどんどん下がってゆく。
「ねばならない」を使わないのは、私の中に「完璧主義はよくない」という情報があるから。知識がインプットされると、表現を避けようとする。無意識に、別の表現に変換される。
「ねばならない」は、選択肢から消える。
やりたくないし、やらなくていいことは、
選択できないように。
自由に選択しているつもりでも、情報や信念によって選択肢は選別されている。無意識に。
理想があると、それに適う選択肢が増え、選ばなければ居たたまれない気持ちになる。
選びたくないという本音はかき消され、ワガママや怠惰として断罪される。理想を適えられない自分は、敵視される。
自分でもおかしいと思うのだけれど、そのジャッジから逃れられなかった。
なりたい自分は、不足している今の自分が補完された状態。現状の嫌な気持ちを消すために、条件を満たそうとする。そうなった時の感情なんて、考えるまでもなかった。
幸せに違いないから。
全然、幸せじゃなかったけど。
ハッピーな気分になりたいのに、それが得られないなら、必要なのは努力じゃない。
理想を疑うこと。
これまで選べなかった選択肢を見つけること。
思考の統制を飛び越える。そのために、なりたい現実ではなく、未来の感情を選択する。
私は、なにを感じたいのだろう。
その感情を感じるためには、
何をすればいいだろう。
これまで、三年先の未来でさえ、考えることに苦労していたのだけれど、欲しい感情を思えば、十年先の未来でも輪郭が浮かんでくる。
なりたいこと、やりたいこと、できることよりも、得たい感情は明確だ。
安定した生活を望むのは、命を養い、本能を満たすため。
その先にある感情は、死の恐怖に怯えることなく、安心していたいという気持ち。
それが、生きる動機なのかな。
動機は、欲。欲しいのは、感情。
感情を得るために、現実を利用する。
理想通りの現実でなくても、望む感情が得られれば、なんでもいい。現実は、通過点。
もちろん、いい加減に生きていたら、人生は堕ちる一方だし、病気になれば苦しい。なんでもできるわけじゃないし、好き勝手すれば痛い目にも合う。
なんというか、これまで、現実に重きを置きすぎていたのだと思う。
なりたい自分は、現実的な条件だったし、日々出くわす現実の全てに、反応していた。
目的が、現実だったから。
こういう仕事に就いて、こういう人柄で、こういう時は対応をして、こういうものが好きで…
自分が作ったマニュアルに沿って生きていたのかもしれない。マニュアルを守るためなら、感情を犠牲にすることは当然で、その対価としてなりたい自分でいられる…はずだったから。
手段であるはずの現実が、目的だった。
未だに現実的な目標は、魅力的だ。
成功したいし、贅沢にお金を使って楽しみたいし、痩せたいし、キレイでいたいし、煩悩は尽きないけれど、今のところは、未来の感情を目的にしてみよう。
そのために、自分を好きになれそうな方を選ぶ。
法を犯さず、誰かに危害を加えず、良心に背かないのなら、得たい感情のために、どんな現実を選んでもいい。現実的に困らなければ、かな?
人に自慢できる仕事じゃなくてもいい。必要なだけ稼げるのであれば、楽にできる方でいい。やればできることで、飽きても続けられるか、変化がある環境がいいな。仕事の内容より、職場環境の方が大事かもしれない。
感情を目的にすることの最大の利点は、自己実現なんかしなくてよくなること。それは、救いだ。
仕事を通じて、なにかをなさなきゃならないような気がしていたけれど、やっと呪縛が解けた。
って、これ「ねばならない」言ってる。
私は、無自覚な完璧主義者らしい。
どうしよう。嫌だけど、性分を変えるのは、大変だろうな。
感情優先の選択をしてゆけば、破綻するかも。
理屈では抑え込めないし、通じないし、気分次第だし。感情に翻弄されたら、もう少し生きやすくなるのかな。
逆かな?
感情的になることが怖かったから、感情を制御しようとして、理屈をこねくり回してきた。
ある程度、感情を宥める考え方ができるようになって、完璧主義化してゆき、生きづらくなったのかもしれない。
感情的になることと、
本音を自由にさせておくことは、別。
だから、大丈夫。たぶん。
完璧主義を懐柔するため。
自己実現に囚われないため。
生きやすくなるため。
未来を思い描くため。
選択の基準として。
大いに期待してみよう。
私の感情というものに。
fumori
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