見出し画像

赦せなかったのは、人であること。

結局のところ、現実に直面するのは、
認識であって、私ではない。

だからこそ、価値観を変えたり、
いつもとは違う認識を選ぶことにした。
以前よりは感情に振り回されることは
少なくなったように思う。

けれど、心根は変わらない。
命は生きている限り、絶対的にポジティブ
なはずなのに、メンタルは病んだままだ。

命に刻まれた汚点。影。傷。
ここまで来ても、まだ消えることのない暗い感情。根深い怨念。
恐ろしいまでにネガティブな呪詛は、
嫌悪では済まない怨嗟。自分に対する。

呪いたくなるほど赦せない自分。
恨む以外に代えの利かない感情。

それがなんなのか、やっとわかった。

自己嫌悪の原因は、自分を裏切ることだった。
それなら、許されない裏切りを認め、謝罪し、断罪され、今後は裏切らないようにすることで、信頼を積み重ね、少しづつ赦されてゆく。

自己怨嗟は、赦されることはない。
変えることのできないものに対する拒絶だから。

どうしても赦せなかったもの。
どうしても愛せなかったもの。
それは、感情そのものだった。

理性を失うほど激しい情動。
それは、表に出してはならないもの。
コントロールしなければならない。
けれど、思うようにならない。出来ない。

私が苦しんでいたことは、
人付き合いなんかじゃなくて、
人と会うことで簡単に乱れてしまう感情。
それをコントロールしたいという欲。
その欲を満たすことのできない不満。
行き場のない不満が、自分に向けられた状態。
蓄積され続け、嫌悪が恨みにまで成り果てた。

言葉にしてしまうと、当たり前のことなのだけれど、問題をすり替えているうちは、気づかないんだよね。自己欺瞞に。

たやすく揺れ動き、
乱れるほどに理性を失わせてゆく感情。

理性を失う恐怖かな。
それ故に、出してはいけないものになった。
けれど、コントロールできないまま、今に至る。
その汚点が、穢れってことなのかな。

何かはわからないそれが人生の証。
少し前にそう思ったのだけれど、それが怨嗟だとしたら、人生を恨み続けてきたのも納得だ。

きっかけは、覚えていない。
感情的になりたくないなにかがあったんだろう。
けれど、感情はシステムだ。
私ではないし、揺れ動いている状態が、当たり前。
今に直面している限り、解釈は止まらない。
なんらかの価値観に晒され、解釈され、相応しい感情まで、自動的に生成されてしまう。

全ては、命に付随するシステムだ。

どれほど望んでも、現実に直面する限り、静謐な感情は手に入らない。それは、死だから。

生きている命は、揺れ動くもの。

それを拒絶するということは、
死ぬか、人ならぬものに堕ちるか。

私の願いは、神になることだったのかな?
人には過ぎた願いだったわけなのだけれど、
あんまりにも欲が強過ぎて、目が眩んでいた。

死にたくなんかなかったけれど、
人であることを拒絶していたわけだから、
本当に死んでいたかもしれないな。これは。

そんなつもりはなかったけれど、
私は人が望める限界を超えていた。
私の理想は、神の領域に踏み込んでいた。
叶わない願いに、恋い焦がれていたわけだ。

感情が揺れ動いてしまうこと。
我を忘れるほど乱れてしまうこと。
人を傷つけ、自分を裏切ってしまうこと。
望まない自分になってしまうこと。

生きている限り、叶うことのない願望。
人である限り、得られない願望。

赦して。愛して。死にたい。
そう願っていたのは、人である自分。

逆かな?

得られないものを願うことができる存在。
それが、人間なのかもしれない。

神仏なら、満たされているだろうから、
自分自身に望むことなんかないだろう。

困っている人の助けになりたいとは思ったとしても、自分に対して思うことはないだろうし。

身の丈に合わない野望を抱けること。
それは、人間の強みなのかもしれない。

とは言え、
望んでも手に入らないものに執着していると、
自分を呪うことしかできなくなる。

死なない限り、乱れる感情は存在するし、
生きることを選ぶなら、情動はセットだ。
感情が乱れることは、生の一部。

価値観を変えたり、解釈を選ぶことで、揺れを小さくすることはできても、なくなりはしない。
嵐のように乱れることはある。
理性で抑えられないほどに。

そういうもの。

どうしようもないのだから、
そのまんまにしておくしかない。

現実という風雨に晒され、揺れ動く水盤。
私が出来ることは、それを眺めていることだけ。

なんとかしようと手を加えれば、
余計に乱れてしまう。

感情をコントロールするというのは、
上空の現実によって揺れている水盤を持ち、
逆方向に揺らすことで、振動を打ち消すようなもの。
もしくは、風雨そのものをなかったことにして、捉え方を改ざんしようとする、とか?

見えなくすることはできるけれど、
揺れは止まってはいない。

揺れていることを、眺めることしかできない。
理性は間違えるし、感情は乱れる。

それを、認めて、赦して、愛する。
そのままにしておく。させておく。
放置するのではなく、人を見つめる。

人間である様を眺める。

人である限り、越えられない壁。
変えられないことは、
見守ることしかできないんだな。

可愛そうだけれど、どうにかしたかったけれど、
その願いは、私の手には追えない。

愚かな人間であること。
命はそれを見守るもの。

いいことも、悪いことも、
全部を見られている。
見られて恥ずかしいと思うのは、
ジャッジがあるから。

眺めているのは、ジャッジのない視点。
人ではない視点。
あるがままを赦され、愛でる。

吹っ飛んだ理性も、
荒れ狂う感情も、
赦され、愛でられる。

命はそのくらい祝福されているのかもしれない。

 fumori 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?