見出し画像

願っていることって、なんだろう?

承認されることが、生きる目的だった。

それが薄れたら、
氷の溶けたコーラみたいな人生になった。

ほのかに香りがするだけの、色のついた水。
味も、飲みごたえもない。

刺激がない分、大きな不幸もないけれど、
薄まった人生に、生き甲斐はない。
たぶん、生きる意味的なことも。

何も無くなってしまった。

そんな薄っぺらな人生に、
求められるものなんてあるのだろうか?

幸も不幸も、肯定も否定も、野望も諦観も、
何もかもが霧散しているまどろみで、
砂のように風化した感情で、
私はなにを願うだろう。

認められなくてもいいと
思えるようになったのは、
この世界のルールを受け入れたから。

世界は、常に変化している。

それは、
幸福に留まることはできないということ。

健康も、豊かさも、環境も、
時代も、美徳も、芸術も、
願ったところで失ってしまう。

願えることが、格段に減り、
願わないことで、承認欲求に歯止めがかかった。

今、望んでいるのは、変化に抗わないこと。
精神の自由。本能を満たす。
あとは、今を快適にする。

不幸せにならないための最低限。

もしかしたら、
願うことが怖いのかもしれない。

身の丈に合わない野望を求めて、
また人生を無駄にするのではないか?

人生を無駄にした自分への不信感が、
過去を否定し、未来を絶望させる。

根底にある不幸の種は、
承認欲求でも、ルールでもなく、
自分を信じられないこと。


願わなくなったのは、
叶えられないと思われているから。

どうせ裏切られるのだから、
期待するだけ無駄だ、と。

赦されたかったのは、叶えられない自分?

諦めて、言い訳して、
これでよかったで済まそうとした自分。
期待を裏切った自分。
裏切ったことを、認められない自分。

ごめんなさい。赦してください。

本当は、悔しかった。
腹が立った。悲しかった。叶えたかった。

叶えられない自分が不甲斐なくて、
嫌いだったのかな?

そんなことで、嫌いになるのかな?

諦めるより、失敗しても、
やりたいことをやった方がいいはずでは?

なら、嫌いだったのは、誰?

叶えられない自分より、
期待を裏切った自分じゃない?

裏切ったのは、期待ではなく、
本音を誤魔化した自分。

それが、不信感の正体。

裏切られたから、期待しないことにした。

それは、欺瞞だ。
赦したから。誤魔化したから。本音を。

怒りに打ち震えていたのに、
本音を書き換えた。
解釈で誤魔化した。
価値観を見直した。

たぶん、憎かった。許せなかった。
恨んだら、羨ましかったり、見下したり、
抱いてはいけないと思い込んでいた感情を、
私は、解釈で処理してきた。

葬られた本音が、心の奥に集積して、
不幸な種を育んだ。

何を思ってもいい。
罰したり、嫌ったり、無視したりしない。

どんな汚い自分でも、
向き合えるようになりたい。

全ての自分の味方でいたい。

愛されていたい。愛したい。

信頼してほしい。信頼したい。

赦して欲しい。赦したい。

幸せでいて欲しい。

幸せでなくても側にいたい。

自分を信頼するというのは、いつだって本音の味方でいることなのかもしれない。

悪巧みをしたり、嘘をついたり、狡したり、
そんな自分を裁いてきたけれど、
どれも人間の本質であって、私ではなかった。

あの人が無理解なのも、
弱くて優しいのも、狡いのも、
私が愚かで単純で、無責任なのも、
極論すれば、人間なだけだ。

実際に行動に移さないなら、
自由に悪態をついていればいい。
行動に移すなら、責任を持てばいい。

責任が取れる範囲であれば、
何をしたって自由なんだよね。

ただ、その責任の範囲が
個人で考えるより相当に大きいから、
道徳に従っておいた方が得策というだけ。

十分に配慮して、良心に従っても、
ルールを破っていることはある。

傲慢になるのは、全てを知った気になるから。
気づいていないことに心を配れないから。

所詮は人間でしかないのだから、
自分に期待なんてするもんじゃない。

いい人でなくていい。性悪でいい。
狡くても、意地悪でも、
愚痴や恨みつらみばかりでもいい。

誰にどう思われようと、
自分をどう思っていようと、
私たちは互いに人間でしかない。

個人と思うから嫌いな人になるけれど、
嫌いな本質は、私の命にもあるもの。

目覚めていないだけ。
目覚めていても、見て見ぬふりをしているだけ。

恐ろしい本質は、誰の心にも宿っている。
不幸の種と同じように、奥底に。

自分に期待しなくても、
未来を期待していたい。

自分を信頼していたい。
本音の味方でいたい。
本音を知りたい。

私は、自分を知りたいのかもしれない。

生き甲斐も使命もない人生は、
砂のように乾いている。

願いは、砂漠でオアシスに出会うようなもの。

蜃気楼かもしれないのに、
喉が渇いて仕方がない。

渇望しているのは、自分。
つまりは、世界。

なぜ、知りたいんだろう?
怖いから?

なら、願うのは、
怖がらず生きられること。

自分の、世界の全てを知らなくても、
安心して生きていられますように。

自分であることに、安心できますように。

 fumori 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?