自己肯定感を高めるのは、習慣より思考回路じゃないかな。

不快な感情は、自己肯定感を脅かす。

安心したい。否定されたくない
といった、快を求める欲求を生む。

けれど、脅かされているだけで、
実際に自己肯定感が低くなった訳ではない。

私が自分を否定しなければ、
自己肯定感が下がることはない。

人間の本性は、無限。

崇高から劣悪まで幅広い。
そして、誰もが天使にもなれるし、
悪魔にもなれる命を生きている。

どんな芽が出るかもわからない
バクチみたいな命を与えられ、
望んでいないのに生まれ、
嫌々、死んでゆくのだ。

命ある限り、
どんな人間にもなれる。
そんな特典が命にはあるのかも。

常識も法律も、時代と共に変わってゆく。
社会のルールは、絶対ではない。

私たちがやってはいけないことなんて、
自分の価値観を誰かに押し付けること
ぐらいなんじゃないかな。本当は。

ま、やりまくってますけどね。

だって、認められたいんだもん。
好きになってほしいんだもの。
肯定されたいんだもん。

自分を押し付けるのも、
相手との違いを許せないのも、
相手から肯定されたいから。

自己肯定感が低いと、
ちょっとしたことで揺らいでしまう。
過剰反応し、不安に駆られ、
自分からは得られない安心を求めて、
他者に承認されようとする。

認められたくて
本音を偽って相手を受け入れたり、
自分を押し付けるのだけれど、
逆効果なんだよね。

対人関係の悪化は、
自己肯定感が低すぎるから。

ビビりすぎなんだよね。

肯定感が下がりそうなだけで、
実際は、下がりはしないのに。

私が否定しない限り、
肯定感は下がらない。
不快感は、あくまで予感。

自己肯定感は、怯えているだけ。
肯定できる自分を探さなくていい。

自分を否定されたように感じても、
私が否定しているわけじゃない。
私は否定致しません。
どんな時でも味方でいます。
約束したじゃんね。

私は自分を否定しないので、
肯定感が減ることはないってこと。

自己肯定感は、今が底値。

どんな私でも、ドン引きしない。
…もしかしたら、一瞬はするかも?
けれど、
拒絶しない。馬鹿にしたり、
見下したりもしない。そのつもり。

信じられないと思うけど、
大好きなのよ。
素直になれないだけ。
男子小学生なだけ。

好きな子に関心がありすぎて、
構いすぎて、ウザがられているだけ。
嫌なことを言うのも、
反応してくれるのが嬉しいの。
ラブハリケーンなの。

でも、ビビる。確かに。
それだけ、大切だから。

否定されると感じているのは、
価値観と個性。

どっちもお宝。人生の両輪。

価値観は、楽に現実を生きるためのもの。
個性は、それがないと生きられないもの。

楽と苦。
現実と精神。
牢獄と自由。
協調と孤高。

価値観は、変えられる。
自我だから、自由に作り替えられる。

個性は、どうにもならないもの。
変えたくても変えられないもの。
多くのひととは共有できない
誰もが抱えるマイナー性。
その中には、真の自由がある。

自在な自我 ×  自由な個性

その辺りが、落とし所なのかな。

共感できる所は、周りに合わせ、
変えられない異端な個性は、
心の中で自由を確保する。

あ。完全なる自由だ。
どっちの世界も自由でいられる。

そうやって、融合してゆくのかな。
常識と個性の境界領域なんて、
本当はないのかもしれない。

とは言え、
自己肯定感が底値の今、
不快感には、耐えられません。

さて、どうしよう?

不快です。
自己肯定感が脅かされてます。
私が否定している訳じゃないけれど…
怖いよ。不安だよ。腹立つ。

耐えられないほどの不安は、
肯定感が低いというより、
自己否定の域なのかも。

だから、感情が暴走する。
怒り。不安。恐れ。
自他ともに繰り広げられる批判と不信の嵐。
ネガティブ三銃士の大活劇。

そこまでするのは、崖っぷちだから。
これ以上、攻め込まれたら、
守りたいものが守れなくなるから。

なんだろう?

自己肯定感の低さとは
不釣り合いのバカ高いプライド?

それとも、
生身の自尊心?
自尊感情かな。

プライドは、価値観。
自尊感情は、なんだろう。

命への感謝みたいなもの?
生きていることへの歓喜。
存在価値。
命は、愛され、赦され、
認められているから。

ああ。そっか。

だから、暴れるんだ。
情緒を不安定にさせても、
現実が生きにくくなっても、
止めたいんだ。
自尊感情が傷ついてしまったら、
死にかねないから。

暴れて正解なんだ。
絶対不可侵な領域だから。
死んでしまったら、
現実の評価や成果なんか無意味だから。

プライドならポッキリ折っても、
価値観を改めれば、また生える。
性懲りも無くニョキニョキと。

命は、ダメだ。
精神世界で削られたら、
現実に反映されてしまう。

自己肯定感が怯えるのは、
自尊心に到達しかねないから。
リアルな命の危機だから、かも。

自分の味方でいる。
本音を偽らない。
感情を恐れない。
素直でいる。

人目を気にしない。

不快感は、死のサイン。
これ以上は命の危機だと言われているのに、
誰かの関心を買うために、いい人でいる?

現実世界に適合しようとした結果が死。
変わった人でも、生きている。

問われているのは、
そんな選択なのかもしれない。

いい人ではなく、変わり者。
海外を一人で旅行している気分。

店構えが気になるから、
お腹が空いていなくても食事したり、
いつもだったら選ばない
1000円のコーヒーを頼んだり、
気分がいいから、寂しいから、
歌を歌ってみたり。

あの気軽さ。
全てが、出会った瞬間だけ。
過去も未来も期待していない出会い。

人生は旅みたいに生きたらいいんだな。

先々で出会い、交流する。
けれど、関係性には配慮しない。
自分だけの感性で現実と向き合っている。

自由で、孤独で、
楽しみなのに、不安で、
自分がいると感じられる。

全てを自分が選んでいる感覚。
個性が咲き誇っている。

感性に浸りたいなら、
独りで自由を突っ走る。
心のままに感情を貪る。

世界は、命である私を肯定し続けている。
否定して、自尊心を脅かしていたのは、私。
肯定感を怯えさせ、不快になっていたのは、私。

私が否定しなければ、自尊心は傷つかない。

怖くても、傷つけられない。
猛獣には檻が、
紛争には安全地帯がある。

大丈夫。肯定感は減らせない。
私は味方。
領土の向こうの敵だって、仲間。

戦争ではなく、サバイバルゲーム。

世界が味方だと安心できたら、
私を頼りにしてくれる?

心を開いて、話してくれる?

やりたいこと。すきなこと。
やってみようって思える?

私を信じてくれる?

自己信頼って、
自分を傷つけない覚悟というか、
技術、思考回路のことなのかな。

自分を頼れる技術があれば、
自己肯定感が揺らいでも、
自尊心を傷つけない。
安心できる。
心を開ける。
自分の感情がわかる。
やりたいことに気づく。

自己肯定感が高まる。

自己肯定感は、上げようとしても
上がらないのかもしれない。

自分を傷つけないこと。
そのための思考回路が完成したら、
結果的に手に入るもの。

不快な感情に肯定感が脅かされても、
自尊感情が削られることはない。
そう安心できる思考回路。
考え方、信条、セオリー。

自己肯定感は、高めなくていい。
傷つけない考え方ができれば、
勝手に上がる。そうならいい。

今日が、自己肯定感の最低値。
そうなるように、変わり者でいよう。

 fumori 

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