性格の悪さは、直すより、距離を取る。
ポロポロ泣けた。
「星の王子さま」って、
こんなに心に響く物語だったっけ?
一度以上は読んだはずなのに、
ほとんど記憶になかった。
たぶん、ラストが気に入らなかったから。
あれが癒しになりうるなんて、
以前の私には思えなかっただろうから。
それがわかるようになったということは、
私も失ってしまったから。
いつのまにか、そうなっていた。
ほんとうのことがわからない大人に。
失うまではあったはずのなにかを、
思い出すこともできない。
寂しさと、物悲しさ。
自分でいられなくなったこと。
ほんとうの自分を忘れてしまったこと。
泣き叫ぶほどの温度はない。
ただ、じんわりとした冷たさが、
ずっと続いている。
ずっと寂しい。どれもが切ない。
村上春樹を読み終わった後みたい。
無自覚だった喪失感に気づいた時の、
やるせなさみたいなもの。
失ってしまったものが、
何かもわからないのに、
以前の自分とは違ってしまったこと。
そんな喪失感を感じたせいか、
王子さまの花の不器用さが、愛おしく思えた。
別れることでしか、
ほんとうの気持ち告げることができない花は、
とても人間らしい。
愚かで、とても勇敢だった。
なぜ、あれほどわがままな花が愛されるのか
理解できなかったのだけれど、
愛されて当然なんだ。
失うから、愛したくなるのかもしれない。
美しさを愛でる愛と、
それでは物足りなくなる気持ちと、
愛する気持ちを喚起させる存在へのリスペクト。
一時的では済まない永続的な寂しさは、
愛されることでは満たされない。
だから、失ってみないと、愛せない。
自己満足の愛と、そうでない愛との違いは、
哀しみの深さによるのかな?
だとしたら、人を深く愛せない方が、
幸せなのかもしれない。
つまり、好きなものしか愛せない私は、
幸せだったってことになるのかな?
自覚としては、真逆でしたけれど…
王子さまのバラは、どこにでもあるバラなのに、
この世には自分しかいないと思って、
最高に綺麗だと自惚れていて、
見栄を張って、意地っ張りで、天邪鬼で、
そんなイタい花だった。
正直になれる勇気があること以外は、
私とよく似ている。
間に受けなくていいことを、
間に受けて、そのまんま傷ついて、
相手の思う通りに反応して、
いいように扱われて、手駒になって、
役に立てたと浮かれて、喜んでいる。
自分がわからなくなるほど、迎合する。
嫌いなのに、無自覚に好きなフリをする。
そんな自分が大嫌いだった。
たぶん、今も。
自覚はないけれど。
自己受容から一年も経つのに。
だから、かも?
だからこその、今の現実?
望んでいる現実とは、だいぶ違う。
望んでいるのに、叶わない。
その理由がわからなかったのだけれど、
望みの意味が違ったんだ。
お金持ちになりたいとか、
ダイエット成功とか、
そんな小手先の願いより、
もっと深い渇望。
叶わないと困るほどの信念。
確信している私の中の事実。
自分が嫌い。
だから、願っている好感度の高い自分とは
かけ離れた現実になっているんじゃない?
現実は、ギフト。
現実は、相応しいと思う自分そのもの。
潜在意識で前提となっている自分像。
そのせいで、望んでいる豊かさより、
嫌いな自分が、引き寄せられている。
お金がないのも、
太っているのも、
諦めが早いのも、
惰性に流されるのも、
迎合するのも、
自分がないのも、嫌だ。
そんな自分でいることなんか、望んでない。
そんな自分は嫌なのに、現実はそうなっている。
自分が嫌いだから、嫌いな自分で生きている。
条件じゃなく、概念。
例え、お金持ちであろうと、
スタイルが良かろうと、
忍耐強くて、意志が強くて、
ヒーローみたいな男前な性格だったとしても、
きっと現実は変わらない。
自分が嫌いである限り、
別の嫌いな条件を満たしていることに
目を向けて、囚われてしまうだろう。
自己嫌悪が、嫌われるべき自分
という現実をもたらしている。
願えば叶うのかもしれないけれど、
叶うのは潜在意識で確信していること。
その潜在意識の願いって、普段はわからない。
思考や感情の願いと同じとは限らない。
けれど、現実を見れば、
潜在意識の願いがわかるのかもしれない。
潜在意識を知るために、現実を使う。
それが、たぶん、本来のあり方。
引き寄せは、ついでみたいなもの。
自分が嫌い、というより感情が根深いから、
好きになれない自分という現実を生きている。
益々、自分を好きになれずに、
顕在意識の願望がはなりしれなくなってゆく。
なら、現実を変えることなんて、
簡単なんじゃない?
私を変える必要なんかない。
お金持ちになるための努力より、
先ずは、自分を嫌うことをやめたらいい。
現実のショボい自分を好きになれたら、
今、願っていることが、現実になる。
そういうことじゃないかな?
嫌いな自分を、好きになる。
解釈で変換してしまうと、おかしなことになる。
嫌いとか、好きとか、
命に対してジャッジするのをやめる。
命には、全てがある。
いいも、悪いも、全部が命。
わがままだから、相手の自由を尊重できる。
見栄っ張りだから、勇気が出せる。
性格は、加減とか、距離感。
直すものじゃない。
あとは、自分さえ裏切らなければ、
嫌いになるまではいかないんじゃないかな。
良心に従う。
社会のルールは、その次だ。
世の中なんて、時代によって変わってしまう。
信じるにたるか拠り所にはならない。
心の中にある限りは、治外法権なのだから
ルールよりも、良心に従う。
自分を裏切らない。
性格を直すより、距離を取る。
できる限り、
自分を好きになれる方を選んでゆこう。
fumori
自分が嫌いだから、
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