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毎日ひとつ捨ててみた。 no.7
なぜ捨てられないのかを考えていたら、
選んでいないからだと気づいた。
やるべきことはやる。
それは、決めた。
なら、その先にある未来は?
明日から見たら、
今日やったか、やらないかで、
違う一日を生きることになる。
今日やった先にある明日。
今日もやらなかった明日。
やるかやらないかを選ぶから、
やらなくてもいい今日に甘んじてしまう。
やった先にある明日を選べば、
今日やることは決まっている。
今日やることを、
今日決めていては、ダメなのかも。
どんな明日にするかを選ぶのは、今日やること。
どんな今日になるかは、昨日の私が決めたこと。
今日とは、明日を選ぶ日であって、
今日やることを決める日ではない。
今日やることは、昨日の私が決めたこと。
私が選べるのは、明日の私だけ。
そう決めてしまえば、いいのかもしれない。
明日をどんな日にしようか?
明日が来るかもわからないのに、
選んだところで、よい未来とは限らないのに、
それでも、「今日もできなかった」
という一日をリピートするよりは、
豊かな人生になる気がする。
そんな想いを、希望と呼ぶのかもしれない。
さて、今日の一品は、下着です。
サイズが小さくて、でも痩せたら丁度よくなるかも…
というありがちな理由で手放せなかったモノ。
やはり、未使用なものは、手放すハードルが高い。
いつか使用できる日が来るかもしれない。
そんな期待を抱いて、5年くらい経っていた。
いつかは、来ないんだよね。
未来を選んでいないから。
この下着を使う未来だって、選べたはずなのに、
その未来に向けた明日を選んで来なかった。
明日を選びさえすれば、今日が変わる。
昨日までの私は、これを使っている
「もしかの未来」を選んでいた。
だから、捨てないを選んできた。
今日の私は、違う未来を選びます。
例え、可能性として期待する未来があるにせよ、
私は、その未来を手放します。
可能性を閉ざします。
物語を終わらせます。
捨てられなかったのは、
私の未来を限定したくなかったからかもしれない。
fumori
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