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「だから言ったじゃん」を言わない人生にする。

「だから言ったじゃん」
そう唱えながら、
モノが溢れる実家の掃除をしていた。

掃除は得意ではない。むしろ、苦手だ。
けれど、家族の中ではまだマシなため、
私がやるしかない状況に陥っている。

家族の一人は頑張ってはいるものの、モノを捨てられないタイプ。収納棚ばかりが増えて、部屋が埋め尽くされてゆく。

もう一人は、厄介な敵。片付けてスペースが空けば、すかさず埋める何かを持ってくる。

その攻防は、次第にヒートアップし、感情的にももつれにもつれ、結局、私が折れた。
というか、拗ねた。

そこまで言うなら、二度とこの家の掃除はしない。好きにすればいい。

そして、時が過ぎた今、どえらいことになっていた。

そうならないように言ったし、やったし、戦ったし、最終的に勝ちを譲った私が、やるはめになっている。なぜに?

理不尽だ。あり得ない。
だから、言ったじゃん!

だったら、何のために折れたんだろう?
結局、私がやるんだったら、譲歩なんかするんじゃなかった。

文句を言われても、片付けた端からモノを置かれても、ポイっと捨てればよかった。

相手の無駄口なんか真に受けずに、ごめん、と口先で謝っておけばよかった。

コッチに理があると確信しているなら、やってしまえばいいんだ。

相手の同意なんか必要ないのに、なんで求めてしまったんだろう?

承認欲求、かな?
素直ないい子だから?

悪意に利用されてしまった。
あれは、悪だ。
私にとっては。

けれど、どうしようもない本性でもある。
人として最低の自分。

だから、変えられない。
変われと言われても、変われない本質。
おかしいと指摘されれば、常識的にはおかしいとわかる。けれど、できない。
自分には、汚点がある。

その自覚があるから、
反撃するしかなくなる。

あの屁理屈は、傷ついた人の自己防衛だったのかもしれない。

なら、酷いことをしていたのは、私?
ずっと被害者だと信じ込んできたけれど、触れられたくない未熟さを攻撃したのは、私?

変わりたくても変われない弱い自分。
それに苦しめられてきたはずの私が、同じ弱みを攻撃していたのだろうか?

そして、人ならではの欠落を、敵も受け入れられずにいたとしたら…

我が家にあるのは、常識と普通だった。
知識に支配されやすい窮屈な環境。

あれほど強烈に普通であることをよしとしたのは、受け入れられない自分を許せないから。
それが、連鎖しているのかな。

みんなが、それを直さなければならないと信じている。完全体になることを目指している。

みんな自分ではなくなっている。
どこに自分がいるのかわからない。
そんな家。


全部、私のせいだった。
私が悪かった。

言葉なんて間に受けなくていい。
心が動けば、気持ちは伝わる。
言葉なんかに、価値はない。

動いた心で、なにをするか?
どうしたいと感じたか?

会話なんて、そのためのもの。
話の内容ではない。

言われた言葉ではなく、どんな想いで怒鳴らなくてはならなくなったのか?

わかって欲しいのは、言葉ではなく、その感情を抱かずにはいられない理由。

触れられたくないところを突くから、感情が沸き立つ。

反撃されたことより、突いてしまったことが罪。人を傷つけた。どうにもならないことを、責めた。

会話の意味を、取り違えていた。

理は私にある。
正しさを証明しようとしていた。傲慢だった。

確かに、こうなってみたら、正しかったのは私だ。間違っていたのは、敵。

だとしても、その敵は、できないのだ。
やる気がないのもある。
自分の仕事ではないと思っている。
どうせなら、やって欲しい。
何様のつもり?

けれど、やらない。
できないにせよ、やりたくないにせよ、相手はやらないと決めている。
それは、信じられないくらい強固な信念として。

だから、負けた。

そりゃ、そうだよね。
あんなゴミ屋敷に住んでいても、片付けないんだもの。

戦ったって、勝ち目はない。
私は、あんな家には住めない。

つまり、あんな家で平気な人に、平気じゃない人は勝てない。

平気な人は、やらない。
平気じゃない人は、やる羽目になる。
だって、自分より平気じゃない人がいなきゃ、誰もやらないもの。

そういうこと。

平気じゃない人がやることになるんだよね。最終的には。
やらない人には、勝てないんだから。

平気じゃないなら、やればいい。
相手は羨んでいるのかもしれない。
自分にできないことを、私がやっている。
私に負けることが、屈辱だから、子供みたいな文句を言う?

あ。そっか。
あの時、私は負けたと思っていたけれど、逆なんだ。

敵にとっては、私が折れて、やっと勝つことができたんだ。

それまでずっと、勝ち続けてきたのは、私だった。全然、気づかなかったけど。

相手には、傲慢に見えたのかな?
文句を言いながらでも、サクサクできちゃうからね。才能が憎かった?

意外。
私に嫉妬されるほどの才能があったなんて。

そっか。
嫌味を言われ、ダメ出しされたのも、嫉妬か。私ばっかりやらされて、 不満しかなかったけれど、これがギフトか。

あんまり嬉しくはないけれど、嫌だろうとやればできることは、才能なのね。

世間と比べて、能力は高くなくても、家族の中で一番なら、才能アリ。
豊かな才能は、還元されるためにある。
やりたくなくても…

能力を活かすって、そういうことのんだろうな。
能力って、やりたいこととは限らないのか。
ガッカリだよ。

やりたくなくても、さして高い能力がなくても、今いる環境の中で秀でているなら、提供する。

使命なんてものはないと思っていたけれど、やればできることは、やりたくなくても、応じることが道理なのだろう。
嫌だけど…

やりたいことを探しても見つからなかったのは、やりたくないことに才能があるからかもしれない。

だとしたら、私の世界は、倍になる。
死ぬまでに使い切れるかわからないほどの才能が埋もれているかもしれない。

やりたくないけど…

嫌というのも、ジャッジであり、幻想。

好きでも嫌いでもなくなれば、私の才能は倍増する可能性が高い。

その場でやれることをやればいい。
それが、命を使うことになる。

そして、道理に適っているなら、サクッとやってしまう。
迷惑をかけたら、素直に謝る。
文句を言われたら、口先で謝る。

結局、言った人がやることになる。
なら、同意を求めるより、
黙ってやってしまえばいい。
それだけで、気分よく過ごせる。

それは、勝ち続けることでもあるわけだ。
才能を生かして生きる限り、負けない。

「だから、言ったじゃん」
を言わずにすむ人生にしよう。

 fumori 


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