自己肯定感が高ければ、現実を変えなくても、対処できるようになるのでは?

この世界に絶望した理由なら、
いくらだって挙げられる。

現実は理不尽だし、
私にはなんの才能もないから…
なんて理由は、後付け。たぶん。

健康で、食うに困っていないのなら、
悩む理由は外側の現実ではなく、内側。

望まない現実を引き起こしているのは、
そう認識することしかできなくなる心の有り方。

自己肯定感。自尊心。自己信頼。自己愛。
そんなメンタルのステータスが、瀕死状態だから。


愛や、信頼や、尊厳の土台にあるのは、肯定感。

あるがままの今を肯定するということは、
命を、生き方を、人生を、
この世界そのものを承認すること。

私でいい。私ならできる。
根拠なく信じられる状態。

心が不安に耐えられるから、
運の悪さを誰かのせいにしなくても、
現実的に解決する余力がある。

逆に、自己肯定感が低ければ、
なにをしたって満たされない。
埋められない不足感を抱えさせられる。

どんなに恵まれた現実であっても、
どれだけ認められていても、
否定されているとしか
認識できなくなってしまう。

現実が辛いのは、
瀕死状態のメンタルがそう感じさせるから。
それが真実だと受け取ってしまうから。
疑うことができなくなっているから。

困難な現実のせいではないのかもしれない。
同じ現実でも、自己肯定感によって
受け取る現実は変化する。

なら、望まない現実を変える努力をするより、
そんな現実に対処できる方がいい。

たぶん、現実は変えられないから。
過去の選択にもってもたらされた答えだから。

と言うことで、
自己肯定感さえ高ければ、
人生なんとかなるのかもしれない
と、思うに至ったわけです。


肯定感を高めたいなら、
現状を否定しないこと。

自己信頼を高めたいなら、
裏切らないこと。味方でいること。
責めたり、疑ったりしないこと。

自尊心を高めたいなら、
快感にフォーカスする。
気持ち、気分の良さ。
ポジティブ。肯定感。
清々しい。晴れやか。
生きていること。

愛は、自己肯定感が高まり、
自尊心を上回って、溢れ出ている状態。

そうなったら、もう自分のことはいいから、
社会貢献するしかなくなるのかな?

誰かのためが、自分のためなんて、
本気で思えるようになれるのかな?

自己肯定感が高ければ、
愛がある人になれる。
なら、ひとつ夢が叶う。

現実を否定しない。
過去を責めない。
未来を疑わない。

気持ちのいい方を選ぶ。
気分がよくなる質問をする。
いつも味方でいる。

今日、生きられることに感謝してみる。

あとは、この自己肯定感を高める思考回路を
アクティベートする。

ノートに書く。
アファメーションをする。
30日間チャレンジする。

どれだけ効果があるかわからないけれど、
今日を変えれば、明日は変わる。

小さな現実的な変化が、
一年後の思想を変える。

自己受容から、一年と8ヶ月。
同じような思想を繰り返している所も多いけれど、
エセポジティブな発想は減った気がする。
変わってるんだよね。

良くも悪くも、変わり続ける。
死というゴールは決まっている。
選べるのは、ぼんやりとした方向性。
生死。快不快。陰陽。変化か維持か。
どちらが正しいかは、わからない。
どちらが人として立派なのかも。

わかるのは、心の重さ。
そして、軽い方が快適なこと。
私の基準は、それ。

30日後を楽しみにしていよう。

 fumori 






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