見出し画像

不自由なのは、孤独を恐れているから。

自由には、もれなく孤独がついてくる。

自由に生きることを願いながら
孤独に生きることを恐れている。

人生を不自由に感じているのは、
孤独よりはマシだから。
願いが叶うことを望んでいないから。

私が人生に望んでいるのは、
孤独でないことなのだろう。

けれど、孤独を避けようとしているのに、
孤独を感じていたりする。

なんのための不自由なのか?

私は他者との距離感がうまく取れない。
それが、孤独の原因だと思ってきたけれど、
むしろ、自分自身との関係なのだ。

自分を偽らずにいられたら、
これほどの孤独を感じたりはしない。

孤独を感じないから、不自由を選ばずに済む。
自由度の高い生き方になる。

では、なぜ、考える間もなく、
ごく自然に自分を偽るのだろう?

認識と経験に唆されるから。

私のものではない常識、マナー、社交。
過去に経験した失敗。恥。後悔。

記憶が私を偽らせ、不自由にし、
逃れられないのに、孤独を避けようとする。

なら、自由に生きることを
目標にしてになんかしなければいい。

孤独は怖いけれど、
孤独になることを避けようとしても、
今がその結果なら、避けられてはいないのだ。

私の場合、自由も、孤独も、
生きる目的には不向きなのだろう。

不自由だろうが、孤独だろうが、
自分を偽らないようにする。

それをメインテーマにしたら、
結果として自由に生きやすくなる
のではないだろうか?

孤独を選ばなければ、自由は得られない。
わかっていても、孤独は選びたくない。

だから、孤独も自由も後回し。
自分を偽らないように生きる。

偽っても、許せる生き方を選ぶ。
信条ではなく、気分で選ぶ。

信条は人に読まれやすい。
利用されるとわかっていても、
守ろうとしてしまう。

その時の気分と雰囲気で決めていい。

生き方に統一感なんてなくていい。

その都度、その場で決めたなら、
それが最善なのだ。そう信じる。

今が最適解だと断言できる人生にする。

 fumori 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?