見出し画像

強くなれないなら、自分と同じだけ、他人を甘やかすのはどうだろう?

こうやって生きたほうがいい。

私の中には、そんなルールがある。

守っている限りは、大事にならない。
ちょっと嫌われたり、
ちょっと悪口を言われたりするだけ。

傷つくけれど、安全は保証されている。

命にとっては、ベストチョイスなはずなのに、
そんな生き方を、忌々しく思っている。


ルールは、私を守るためのもの。

けれど、守らなければならないほど
私って、弱かったっけ?

守られて生きているのに、
なんで辛いの?不幸せなの?

生きる意味がないとか思ってしまうのは、なぜ?


もしも、ルールがなかったら、
私は、やりたいことをやり、
生きたいように生きるだろう。

やりたいことをして失敗しても、
笑ってごまかして、おしまい。

懲りずに次のチャレンジに向かうだろう。

私は、たぶん、成功することより、
やりたいことをやってみたいのかもしれない。

失敗するより、
やりたいことを我慢する方が辛いから。

全部、反対だった。

成功したいよ、もちろん。
失敗したくないよ、もちろん。

けれど、成功のために、安全のために、
やりたいことを我慢していると、
生きた心地がしなくなる。

命のための選択が、生命力を削ってゆく。


寂しくて、愛されることを願っていた。

だから、我慢する人生を選んできた。
愛されるために。

本当の私では、愛されなかったから。

願いを叶える対価が、不幸せだった。
愛されることが、幸せだと信じていた。

それは間違いではないけれど、
いつの間にか、満たされていた。

寂しさを埋めるための愛を乞う必要がなくなっていた。
私自身を愛せないだけだったから。

最初から、埋める必要なんかなかった。
なに一つ、足りていないことなんてなかった。

そう気づくことができて、
幸せの基準が変わったのだろう。

愛されたいという欲ではなく、
やりたいという欲になった。

結果ではなく、やっている自分を体感したい。

唯一無二のこの体で、
この世界で私しか感じられない想いを、
今を味わっていたい。

私の幸せは、細やかで、単純で、
すぐに叶うものだった。

今の私であること。
今、感じていることに気づくこと。
今、ふと思いついたことで、気持ちが変わってゆく様。

風のように変化する心を感じていたい。

その感情が何であれ、おぞましいほど、
ドロドロしていればいるほど、
知りたいし、感じていたいのかもしれない。

目を逸らしたくなるようなネガティブな感情さえ、
未知の体感に震えているのかもしれない。

命は、そんな生々しさを求めている気がする。

自我としては、そんな変態プレイ嫌だけど、
自分だと思い込んでいる自我のプライドを
引っ剥がして、剥き出しの本性に触れていたい。


それは、愛されるキャラではない。

自我が必死に隠していた
卑怯で、ズルくて、弱い私。

けれど、間違いなく私であり、
しかも、コアな本性。

直したくても直らないし、
消したくても消せなかった。

これが私自身だと認めざるを得ない業みたいなもの。

そんな自分を憎み、恥じてきたけれど、
それは、自我の都合だった。

寂しさを埋めるために、愛されようとした。
その欲望を満たすために、許さないでいただけ。

寂しいままでも、愛されなくても
仕方がないと思えたら、嫌いでも許せるし、
存在を否定する必要もなくなった。

好きじゃないけど、しょーがない奴として
認められるようになっている程度だけれど。

そして、あまり自信はないのだけれど、
そんな誰にも愛されない自分を、
私は愛しているのかもしれない。

自分のどうしようもなさを
憎みきれない所が、私の甘さなんだろう。

なら、せめて、同じだけ人を許せるといい。

私と同じだけ、
人を甘やかすことができるだろうか?

自分との差異を肯定する強さを
私は得られるだろうか?

fumori

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?