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特別ではない自分と、ありきたりな現実。

欲しいものは沢山あるけれど、
行き着く先は、揺るぎない自分。

所謂、自己肯定感ってやつ。

もちろん手に入れたいものの一つだけれど、
欲しいものの根本がそれとは思ってなかった。

自己肯定感がいらない人は稀だろう。
なら、私の願いはありきたりで、
私という人間は、すこぶる凡庸なのかな。

主観とは裏腹に、
よくも悪くも、正常範囲内。

社会に馴染めないことも、
考えても空気が読めないことも、
多くの人と共感できない感性も、
特別なことではないのかもしれない。

人と違うことを恐れていたけれど、
悩みや願いが凡庸なのだから、
人との差異もありきたりな範囲内?

今日のところは、
そんな凡庸さに安心してみよう。


変わっている私。
社会不適合者の私。

そんなレッテルを自分に貼ってきたけれど、
そもそも正常範囲内なら、変わる必要もない。

引け目を感じることも、
私がおかしかったのかなと不安にあることも、
読めない心理を妄想で埋めて、
疑心暗鬼になることも。

やるべきことをちゃんとやる。
それだけでいいなら、どれほど楽だろう。

優秀であろうとするから、
辛くなる。卑屈になる。

出来ない奴認定されたとしても、
それば単なる事実であって、
私が否定されたわけではない。

出来ないなら、出来ることをやる。
できる仕事を割り振ることが、上役の仕事。

頑張れば出来ることと、
頑張っても並以下のこと。
それを決めるのは、私ではない。

出来るようになりたいと思うと、
出来ない自分を責めてしまうのは、
殊勝なようでいて、思考回路がおかしい。

出来ない奴は、責められて当然
という思い込みがあるってこと。

そんな鬼畜な価値観が、
自分を苦しめ、周囲に迷惑をかけている。

苦しい時は、自分を疑ってみよう。
大凡、私が悪いのだ。

無意識の中に、
なくてもいい思い込みが潜んでいるのかも。


ちゃんとやる。
それしかできないじゃんね。

やったつもりでもできていないなら、
ちゃんとしていないのだ。
ちゃんとできるようにやり方を見直す。

優秀になりたくたって、今できないなら、
できるようになるまでは出来損ないでいるしかない。

できるようになりたかったら、
出来損ないの今、ちゃんとやる。

出来ない今の自分を認める。
理想とは違う自分を否定しない。

肯定しなくてもいいから、否定しない。
今ある現実を、自分を、
そのまんまにしておくこと。

ジャッジせず、
受け入れるでも、スルーするでもなく、
そういうもの、としておく。

それが私が求めてきた、揺るぎない自分。


今の私は、現実と自我と諸々の狭間で、
損得や、欲求や、価値観や、
いろんなものが湧き上がって、
どうしていいかわからなくなっている。

揺るがない自分は、
矛盾だらけの現実にあって、
揺らぎながらも、決断し、
選ぶための拠り所。

頼れる価値観があるから、決断できる。
自己信頼の基盤。

頼っても、偏ったりしない。
善悪に振れず、陰陽に影響しないポジション。

凡庸な自分を、大したことのない現実を、
今、あるがままにしておく。

ポジティブでも、ネガティブでもないから、
現状に対するジャッジもない。

揺らぐのは、いいこと。
自由がある証拠。
選択の幅が広いから、
どの価値観を優先するかで悩む。

悩めることは、状況的には幸せなのだ。
辛いからって、不幸なわけではないのと同じ。

全てをわかった気になった時が、
一番視野が狭かったりするように
見えている人生は、ほんの一部。

地球にとって、私というシステムが、
小さな小さな歯車でしかないように。

わかるのは、私の物語。
私たちの物語が、
どこへ向かっているのかまではわからない。

ただの人間である私が、
星の視点を得ることはできない。

不完全で主観的な人間の視点。
求められているのは、そこ。

凡庸な人間としてのありきたりの視点。

ありのままの自分で生きるために必要だったのは、
人との違いを埋めるのではなく、人と違っていても、
社会生活を営めるくらい凡庸であること。

卑下も自慢とはよく言ったもの。
側から見たら、
自分を特別視したいだけに見えたかも。恥。

見えたんじゃなく、特別だったんだろうな。

他者との共通点より、違いを探していた。
誰かができることは、私もできると張り合って、
それを努力とか言ってみたり…

プライドばっか高くて、面倒くさい人だな、私。
もしかして、自分なんかダメだとか思ってる時って、
内心、自分が可愛いのかな。

自分を責めたり、辛くなった時は、
大概、今ある自分を否定している時。

なら、原因を探すより、とにかく今に立ち戻る。
今の自分と現実を否定していないか確かめてみる。

ネガティブな迷路にはまり込まないように。

私は、凡庸で、ありきたりの人間で、
みんなと同じ本質を持っている。

自分を特別視するから、現実が二分する。
特別な自分に相応しい現実と、それ以外。

実際にあるのは、一つだけ。
私の現実だけ。

それさえ否定しなければ、
自分も否定されることはない。

私に対する評価が、
この世界に反映されているから。

私が見ているありきたりな世界は、
世界で唯一の独自のもの。

個性は特別ではない。
誰かからおかしいと思われても、
相手が理解できないだけ。

凡庸な私とありきたりな現実からなる
たった一つの個性的な世界。
肯定も否定もない場所。

私の居場所は、そこなんじゃないかな。たぶん。

 fumori 

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