あるものをないことにしてきたから、見失ってしまったのだろう。
あるものをないとしない。
あるのだから、ないことになんかできないのに、私はそれをしようとしてきた。
欲しいのに、やりたいのに、
どうしてもってわけじゃない。
嫌いなのに、いいところもあるから…
後ろめたさを感じたら、あの時は仕方なかった。
湧き上がる感情に対して、
いちいち文句をつけてきた。
素敵な私は、そんな酷いこと、悪いことを考えてはいけないから。
だから、居場所がなくなった。
感情の行き場がなくなり、心が曇り、愛を見失った。
私を赦してくれるはずの愛がなくなり、
私を裁くだけの思考だけになった。
心がなくなった。
感情を認められないのは、善悪のジャッジもあるけれど、愛を見失って、赦されることができなくなってしまったからかもしれない。
認めてしまったら、エンドレスな自責が始まる。
救いのない拷問の時間。
だから、強がって、なかったことにしようとしてきたのかもしれない。
素直になれなかったのは、私を赦す存在が世界に存在しなかったから。
人の本質は、弱さだ。
弱いから、欲に駆られて間違えることを赦すものが、愛なのかな。
自分を裏切ったとしても、
やってしまったことは取り戻せなくても、
やってしまった自分は赦される。
だって、人間だもの。
それが根底にあれば、
間違いを認めることは簡単だし、
自分をごまかす必要もなくなる。
素直に生きるためには、
赦される前提が必要だった。
あるものを、ないとしない。
あるがままを認める。
あるがままの現実を認める。
あるがままの自分を認める。
そんな順番になりそう。
あるがままに生きたかったら、
赦されることが当たり前のマインドと、
今、ある現実の全てを認めることと、
今、この瞬間の自分を認めること。
今、この瞬間の自分は、
ほぼイケてない自分だろう。
大抵は、頭の中にいる素敵な自分を演じているはずだから、リアルな自分を自覚していない。
そんな偏った自分であることを、赦す。
いいとか、悪いじゃなくて、存在すること。
どんな自分も存在しているのなら、
そこにいていいのだよ。
あるがままを尊重するということは、
偏った自分で生きてゆくということ。
どんな自分でも、赦されている方がいい。
どんなに思い通りの自分になれたとしても、赦されない生き方は、苦痛しかない。
間違えないように生きるのは、もう嫌だ。
私は、偏って生きて行こう。
赦されて、自分も、世界も愛して、命と愛を使い切って、人生を終えよう。
何かを為すためではなく、ただの私で今日の命を全うしてみようと思う。
fumori
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