媚びず、ナチュラルに、等身大で無理のない範囲内で。

自己欺瞞が隠したかったのは、
自分なんてないということ。
自我は実在しないということ。

認められない自分は、存在しない。
自己欺瞞のカモフラージュ。

そう思って、騙された。

認められない自分は、
強烈な欲求の発露。

利己的な権力欲。支配欲。
自分は存在しないのに、
存在し続ける欲求。

私が恐れていたのは、それ。

自我なら解釈でなんとでもなる。
そもそも存在しないから。

けれど、権力や支配は、欲求。
願望ではなく、本能に根ざすもの。

簡単に理性を覆す。
パワフルなケダモノ。

恐れていたのは、凶暴な本能。

ふう。危なかった。
隠して正解。

隠しきれなかったけれど、
隠そうとしなければ破綻していた。

現実的な成功を犠牲にするだけの
価値はあったと思うよ。

私が抱えていた強烈な承認欲求は、
支配欲から生み出されていたのかも。

辛い過去は嘘ではないけれど、
強烈な本能のせいで、
より辛く感じられたのかも。

そう考えると、辻褄が合ってしまう。
どつしよう。困ったな。

支配欲の強い人間は、嫌いだ。

都合よく使われる側に回るのは堪らない。
支配している感覚を快適に感じる自分も嫌だ。

なのに、こんなにも支配欲求が強いのは、なぜだろう?

理由のない機能的な問題だとしたら、
どうやって折り合いをつければいいんだろう。

権力欲が強いのは、楽をしたいから。
要領よく生きるために、
いいポジションを手に入れたい。

人を言いなりにさせて、
都合よく使うのは、支配欲求。

支配するのは、気持ちがいい。
私はそこに依存しやすいタイプなのだろう。

幸い、役職や役割のない今の立場なら、
権力に酔いしれる機会はない。
下っ端でいる限り、互いに支え合い、
和やかな空気を作り出そうとするだけで済む。

私は、権力欲と支配欲が強い。
手放せるとも思えない。
捨て切ったと思った挙句の欲。

こういうのを業と呼ぶのかもね。

支配を険悪する良心はあるけれど、
権力欲を望むことはやめられない。

楽に生きたいという願いは、捨てたくない。
苦労したくない。

けれど、そのために権力を手にすれば、
支配欲に溺れてしまう。

楽に生きることを諦める?
苦労を選べる?

これまでなら、言いなりになっただろう。
諺にもあるし、苦労は買うもの、なんてさ。
心にもない選択をしていたはず。

これは、自我によるひっかけ問題。

問われているのに選べないのは、
選ぶべき選択肢がないから。

本音を誤魔化さない。
私は、楽に生きたい。
理由なんかない。

一般論で片付けようとしないで、
見つけてきてよ。

本音を尊重しつつ、
社会的な範囲内の選択肢を。

例えば、
支配する相手のいない権力とか。

人や組織を動かすのではなく、
表現とか、技術とか、一芸的なもの。

欲しいのは影響力のあるポジション。
使われる側だけど、
いいように使われるのではなく、
敬意を持って扱われる、とか?

それなら、別に一芸いらなくない?

人の役に立てるから、
あった方が敬意は集まりやすいけれど、
大切に扱われたいだけなら、
相手を蔑ろにしなければ済むのでは?

あれ?
なら、権力や支配もいらなくない?

なんで、大切に扱われたいんだろう。
なんで、敬意が足りないと感じるんだろう。

とりあえず、
今日接会う人を蔑ろにしないようにしよう。
負担のない親切をしよう。

可能なら、明るい気分でいよう。

媚びず、ナチュラルに、
等身大で無理なくできる範囲で。

 fumori 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?