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自愛が足りないから、他愛を求めていたのだろう。

愛されることが当たり前過ぎて、周囲の人々がなぜ私を嫌うのか、サッパリ理解できなかった私です。

いや、もう、なんか凄い。
愛されて、甘やかされて、わがまま放題に育って、プライドがとんでもなく高くなってて、世界は私のために存在するみたいな人な訳でしょう?
本当に、何様?
資産も教養も爵位もないのに、悪役令嬢気取りじゃないですか。

なんか、もう、スミマセン。
長らく生きてきて、やっと気付きました。
恥ずかしい人生だったのだと。

無知で、高慢で、怠惰でした。

…って、なんか、アレに似てる。七つの大罪。
傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。

愛されて当然とか、与えられた愛を選り好みするとか、傲慢ですよね。

強欲というか、ケチだわ。愛を惜しんで自分からは愛さないとか。愛してくれたから愛するとか。

愛されてる人とか、幸せな人に嫉妬してたよね。羨ましかったな。認めようとはしなかったけど。

憤怒というか、恨みかな。こんな世の中、滅んだって構わないと思ってたもの。

非モテ女子なので、色欲は…マンガとか?

食べることは大好き。今は胃が付いて行かなくなったので落ち着いたけど、暴飲暴食はした。楽しかった。

怠惰は、もう生きることそのものが面倒くさいレベル。

はい。逮捕確定。
七つの大罪、制覇してました。

それが罪かどうかはわからないけれど、欲に飲まれるのも、人間の本質。リアルな宗教には興味がないのですが、人を救うために編み出されたものなんだろうな。

七つの大罪について、Wikiで調べたついでに刺さった聖書の言葉で締めたいと思います。

自分を愛してくれる人を愛したところで、どんな恵みがあるだろう。

いや。本当にごめんなさい。
私は、愛してくれた人すら、愛することができていなかった。
愛しているつもりだったけれど、許容範囲内に限って許して、認めていただけで、愛せないところは諦めて、関わり合わないようにしてきた。

私なりに悩んで、苦しんで生きてきたけれど、勘違いで迷惑な人生だったとは…
ひたすら申し訳ない。

愛されることは当然ではなく、愛さない自由もあるんです。
自分を磨いて、努力によって愛されることはあるかもしれないけれど、それは努力のお陰ではないのです。相手の心が動かなかったら、愛されはしないのです。
愛は、求めるものではないのです。
乞うたところで、得られるものではないのです。

私にできることは、愛することだけです。

今はまだ実感がわかないけれど、きっと幸せな人生だったと思える時が来るだろう。
愛されることを当たり前に思えることなんて、これからの人生では思い込めそうもないもの。

さて。
愛されまくったことに感謝して、愛されることから卒業しよう。
これからはずっと自身の愛と一緒だ。

自愛が十分なら、他愛を求めなくてもいられるんじゃないかな?理想かな?

試してみよう。
そろそろ現実に戻るとしますか。

 fumori  with love

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