とりあえず、自己肯定感さえあればいいのかも。

必要最低限な文化的な生活を営んだ上で、
次に必要なものってなんだろう?

今の私に必要なものは、肯定感。

生存本能が危機的状況なら、
なにがなんでも生き延びようとする。
自己肯定感の有無は、関係ない。

けれど、その本能が満たされると、
生きている意味を見失うのがアニマル脳。

自己肯定感が高ければ、
自己実現に向かうところなのだけれど、
自己否定にまで至っていると、
何もできなくなってしまう。

自己肯定感の根源は、命だと思う。

肯定するのは、自分ではなく、今、存在する状態。
命や全てがある状態のこの世界を肯定する。
それが、自分自身への信頼となって、
肯定感が生まれる。

逆に、現状を否定していると、
肯定感が蝕まれ、命が削られてゆく。

そんな危険を避けるため、
自尊感情を守るため、プライドが補完するのですが、
まぁ、悪く働くよね。防御反応の塊だから。
あらゆる現実に噛みつかことになる。
だって、命の危機なんだもの。

現実が辛いものになり、更に、
自己肯定感は低くなる。

自己肯定感を上げようと、
自分を好きになろうとしたけれど、
逆効果だったのも、このループ。

好きになろうとするのは、
嫌いという現状を否定することだから。

とは言え、
嫌いという感情は、心地いいものではない。
なんとかポジティブに変換して、
受け入れようとしたのだが、これも現状の否定。
更なる悪化を招いてしまった。

つまり、自己肯定感を育むためには、
現状を否定しないこと。
あるものを、拒絶しないとこ。

無理に肯定してはいけない。
受け入れようと努力するのもやめる。

認めたくないなら、
あるけれども認めたくないな。
そこで、終わり。

認めたくない理由を考えたり、
解釈や価値観を変えても、
認めたくないという思いがあるうちは、
どうにもならない。無駄な努力なのだ。

さて、なぜ自己肯定感が必要なのか?

自己肯定感が低いと、
現実にボコボコにされるから。

現実に恨みしかなくなると、
死の概念が近づいてくる。

いつか必ず来る死と向き合うと、
めちゃくちゃ怖い。

死ぬ間際に、どうしたら怖さを
軽減できるか考え始める。

死は圧倒的に個人のものだ。
現実的なものは、役に立たない。
いや、あるに越したことはないけれど、
そもそも私にはないので、頼れない。

死は恐怖。
恐怖の中でも圧倒的ではあるけれど、
人が感じられる感情には限りがある。

分類するなら、不快感の一つ。
自己肯定感が低くなり、
命が削られそうだと怯えている。
警戒のアラームでしかない。

だって、命は奪われていないから。
まだ生きているから。

死という私にとって最大の逆境に於いて、
一番必要と思われるもの。
それが、自己肯定感。今のところ。

そんなこんなで、
自己肯定感を高めてゆこうと思う。

現状を否定せず、今あるままにさせておく。
感情や欲望を認めたくないなら、認めない。
無視せず、書き換えようとせず、
認めたくないままにさせておく。

気持ちが落ち着かなくても、
居心地が悪くても、
完璧ではない自分と世界に耐える。

完璧でいたい理由が、
自己否定を生んでいること。

負けたくない理由が、
納得いかない理由が、
現状を否定する理由が、
肯定感を阻んでいる。

自己肯定感が高いまま死を迎えたいなら、
現状を不足を感じる原因を知り、
新しい思考回路に切り替えればいい。

現状を否定しない。
とりあえず、ベータ版は完成した。

さて、システムの運用を試してみよう。

 fumori 

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