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愛されなかった不幸な私が、希望だった。

私たちが幸せを求めて止まないのは、
今、生きていることそのものが
奇跡であることに至るためだったりするのかな。

理想の自分を諦め、
みっともなく、みじめなくらいに
不完全な人間であることを
認めることができたなら、
世界は反転する。

人は、不完全だからこそ
完全なる神の対として
もう一つの命を与えられている。

今という有限の世界に生かされている。

私の生きる現実は、人間社会。
永劫の安らぎに満ちた神の世界ではない。

人は神にはなれない。
人は死ぬまで不完全である。

つまり、人である私が
不完全なのは当たり前のことで、
努力で、今よりよくなることはあっても、
命が尽きない限り、完全になることはない。

完全なる神が光だとすれば、
不完全な人間は、
光によって生み出される影。

不完全な今の自分こそが、
パーフェクトヒューマン。

そんな前提にしてみる。


私には、特定の神様はいません。
完全なる神とは、私の妄想です。

存在するかわかりません。
間違っているかもしれないし、
良いことでないかもしれない。

神様みたいに完璧な人間だって
世の中にはいるのかもしれない。

けれど、
そんなことは瑣末なことなのです。

私が、社会的な成功を諦め、
絶望の果てにたどり着いた
考えであることが重要で、
私以外の人に通用しなくてもいいんです。

「その存在を信じるなら、精神に出現する」

アラジンが出会った魔神のように
存在すると信じさえすれば、
心にあかりが灯る。

小さな灯りは、
瞬く間に光り輝き、
世界を塗り替えてゆく。

光に満ちたもう一つの世界を
見せてくれる。

それが、
私の妄想が生み出した神さま。
神が存在する世界観。

人間以外の完全な存在があることで、
不完全である自分を赦すことができた。

神になろうとする
無駄な努力を止めることができた。

理想の自分を諦めて、
人としての生きられるようになった。

失敗や、不安や、恐怖や、疑念。
ネガティブな自分を変えようとしてきたけれど、
影である人の本質だと思えば、
否定しないでいられる。

精神に出現した神さまは、
現実と交錯する今に限り、
世界に作用する。

信じる心は、ミラクルで、パワフル。
魔法そのもの。

神の対である不完全な人に与えられた
パワフルな奇跡。


夢を叶えたいのなら、

不完全な今の自分と世界が
完璧であることを認める。

今ある命とこの世界に感謝する。

今、生きていることが
幸せな奇跡だと気づく。

ないものを補うのではなく、
あったらいいなと思う未来に目を向ける。

そうやって、叶うかどうかより、
希望を見出して生きてゆけたら、
手を緩めることができるだろうか。

ゴールである死を目前にし、
抗い難い生への執着を握りしめたその手を
開くことができるだろうか。

生への執着は、たぶん、
手のひらに隠された私。

愛されたかった私。

報われないことに、怒り、悲しみ、
生涯をかけて愛を求め続けてきた
悲劇のヒロイン。

そんな愛されない私の不幸が、
こうなったらいい未来へと
私を導いてきたことに気づくのだ。

愛されたかった私が、
この世界の希望だった、と。


最期のシーンを選べるのなら、
そんなエンディングはどうだろう?

 fumori 

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