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愛であるはずのもの。

ふと気づいてしまった。淋しさに。

あ。そっか。
私、淋しかったんだわ。

ずっと…?

涙が滲んだ。
通勤途中だったから堪えたけれど、できることなら溢れるままに、大泣きしたかった。

そのくらい淋しかったわけではない。
無自覚だった淋しさへの、なんだろう?

感謝でも、懐かしさでもなく、オマージュっぽいなにかだったように思う。

淋しいという気持ちは、不定期にやって来るし、珍しくもないのだけれど、無自覚なままずっと淋しかったことに気づいたのは、初めてかもしれない。

普段は自分の気持ちや機微に疎いくせに、淋しさを確信していた。腑に落ちてしまったという感覚。なのに、理由がわからない。

理由がなければ、精査することも出来ないし、反論のしようがない。納得するしかない。
つまりは、そういうことなのだ。

ずっと淋しかったんだな。私は。

ずっと…を遡ってゆくと、もうね、物心がついた頃には、淋しかったことになっている。

ワガママ三昧の末っ子で、世界は私を中心に回っていると信じて疑うことさえない俺様な女の子だったのだけれど?

淋しかった、のかな?
心は納得しても、思考は疑り深い。

淋しいとは少し違うけれど、バランスを取っていたような気はする。無意識に。
ワガママな末っ子キャラは、生きやすそうだったし、ポジションも空いていた。子供らしく振舞うだけで、喜ばれた。

演じている自分は嫌いじゃなかったと思う。
なりたい自分でいることは、心地よかったはずだから。

でも、自分ではない。
淋しさは、それだろうか?
私自身であることを、拒否してきたこと?
押し殺して、無視して、忘れていたこと?

確かに、忘れていた。
気づいても、疑ってしまうくらい淋しいという自覚はなかった。

私は感じたくない感情を
忘れているのだろうか?

なかったことに、しようとしている?

恨みや、怒りや、憤りや、辛さや、これまで散々吐き出してきたグロテスクな感情の根底にあるもの。
激しい情動で誤魔化して、麻痺させてきた。
誰にも触れられたくないもの。
自分自身にさえ。

それが、淋しさ?

どうにもならない…なんだろう?
哀れみに近い場所にあるもの。

同情ではなく、憐憫でもなく、
救われることはないと知っている淋しさ。
死を自覚した時に似ている。

どうしようもないことだとわかっていても、
受け入れたくはないもの。
諦めるしかない理。

生きてゆくこと。
どうせ死ぬのに?

こんな世界で生きて行かなければならない。
世界に対する絶望感みたいなものが、淋しさ?

なら、物心がつく前から、私は世界に絶望していたことになる。


自己中心的な幼い私が、世界と相容れなかったことは事実だったとしても、死を意識したことはなかったように思う。
死は、まだ私の身近には存在しなかった。

死ぬこと以外に、絶望することなんてある?

夢に敗れるにしては、早すぎる。
子供は、可能性そのものだ。

なのに、幼い私の世界は、不快で溢れていた。
なんだろう?

愛されたかった?
愛されていなかった?

愛されてはいた、と思う。
私が望む通りではなかったけれど。

なら、自由の剥奪だろうか?
もしくは、犠牲。

自己犠牲。
優しさであり、愛であるはずのもの。
それかも。

私の周りは、優しさで溢れていた。
それを、与えられるままに貪った。

与えたくもないなら、与えなければいい。
見返りを求める心を卑しいと感じていた。

自分は与えることもせず、君臨していたくせに、与えることを惜しむ自分を内心嫌悪していたのだろうか?

自分のことを好きではなかった。
私が思うよりずっと前から。

愛され過ぎていたのかな。
相応以上に愛されて、居心地が悪かった?

不快だったのは、
優しさを受け取る価値のない自分。

愛されていたのに、
愛することができなかった。

与えられた愛が負担なら、
返せばよかっただけなのに。

相手が無理をしていると感じたら、
欲しくても、断ればよかった。

淋しかったのは、愛したかったのかな。
私も。同じように。


幼い頃、空気のように与えられた愛は、
とても贅沢なものだった。
幼い私には、重過ぎるくらいに。

相応しくない愛だったのだろう。
与えられた通りには愛せない。
相手が望むように愛してあげられない。

残念だけれど、私の愛は及ばない。
諦めなければならないことが、淋しかった。

空気のように当たり前に愛を与えてくれた家族に、彼らが望んでいる愛を返すことはできない。

愛されるに値しない子供で、ごめんなさい。
見合うだけの愛を返せるような大人にもなれませんでした。許してください。
こんな私を愛してくれて、ありがとう。

結局、私は家族が好き、なのかな?
嫌いではないけどね。信頼もしているし。
家族って、なんなのだろう?

哀れみに近い淋しさについて考えていたら、重荷に感じるほど愛されていたことを思い出した。

それを愛とは思っていなかったけれど、
不快な世界は、重苦しいほど愛に溢れていた。

私の望むものとは違っただけで、
たぶん、どれも愛だった。

淋しさは、幸せの記憶と繋がっている。

なら、淋しいという感情は、案外、ポジティブなのかもしれない。

 fumori 







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